フィリピン大好きo(^o^)o -29ページ目
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会いに行こうかな

cebu


欲張りな私は…

先に述べた男の子にも会いに行こう!!

そう思いました。


でもたくさんの問題が…

彼はセブに居るので1人で行かなければならない。

私の英語力は恐ろしいほど低レベル。

7泊8日のマニラのあと、さらに休暇を取れるのか?

男所帯になってしまう家族の承諾。

最大の問題は、転勤してから仕事が忙しくなった

彼が歓迎してくれるのか??

オバサンの相手なんて申し訳ないし…(^^;



案ずるより生むが安し…

まずは彼に聞いてみました。


『マニラに行く事になったけどセブにも行ってもいいですか』


『 セブに来るのはWelcomeだよ.大歓迎。

忙しくなかったら一緒に観光しよう』


やった~! 彼に会える♪


さすがフィリピンのホスピタリティー。

誰にでも優しいんですね。



彼の了解をもらったので、家族もOKしてくれました。

誰も知り合いのいないセブに1人で行くと言えば

猛反対を受けたでしょう…



それからは、彼におんぶに抱っこと言う感じで

マニラからセブへのチケットの手配

ホテルの予約、念願のボホールへの旅の手配

すべて面倒みてもらいました。



でも…

いかん、いかん、

私の一番の目的はボランティアだ!!

フィリピンの現状をこの目で見て、

少しでも現地の人のために手を貸して、

セブの事はマニラが終るまで考えないぞ!!

そんなふうに自分に言い聞かせました。



そう思いながらも、

さらに大人になったであろう、あの男の子に

会うという楽しみが増えた私でした…

帰国

教会


それは突然の報告でした。



『僕は転勤でフィリピンへ帰国する事になりました』



その頃、私にとって…

大切な友人になっていた男の子が帰国するのは

とても淋しい出来事でした。

これが国内の転勤なら

そんなにショックを受けなかったのかもしれませんが

なかなかVisaがおりないフィリピンとなると

もう二度と会えないかもしれない…という気持ちでした。



そんな私に…

『 貴方の子供達もいつかは親元から離れていくでしょう

 今は、その練習だよ』



ホントだ…

近い将来、子供達が巣立つ時またこの淋しさを味わうんだ。

人との出会いや別れは人生を送る中で当然やってきますが
できることなら、愛する人や愛しい人は

いつまでも自分のそばにいて欲しい。

そんなワガママな考えだった自分に気が付きました。



帰国の日には…

『 日本からフィリピンまで4時間だよ。あっという間ですよ』


そんな言葉を残して、

私の人生観を変えた不思議な男の子は

飛び立っていきました。


だんだんと空に溶け込んいく飛行機を

溢れる涙を拭きながら見送りました。



でも、いつまでも悲しんでいてもしかたない…

4時間でフィリピンへ行けるのだし

死んじゃったわけでもないのだし

機会があれば、またいつか会える。

会えなくても、日本で彼の幸せを祈る事はできる。

そんなふうに、自分を励ましました。




それから約1年後…

とうとう憧れのフィリピンへのチャンスが巡ってきました。

宝物の言葉

マリア様


ある時…

私はとても考え込んでいた時期がありました。


特別な悩みや問題があったわけでもないのですが

今思うとその頃の自分は…

子供達が親離れをした時期だったので

なんとなく淋しかったのと

仕事でも悩んでいた時期でした。


このまま平凡に人生を送っていいのだろうか?

女性だからといって家庭に閉じこもっていたくない

家族の為だけでなく他人のためにも何かしたい


そんな漠然とした事を考えていました。




そんな時、先に述べた男の子からのメールで

次のような一説がありました。


人は好きになる人、愛する人、友達にしたい人は
一人とは限らないでしょう!
皆のための愛はこの世界でたくさんあると思います。







フィリピンの信仰心は人々の心の奥底まで浸透しています。
だから自然とこのような考えが身に付いているのだと思いました。
この言葉で心がとても軽くなりました。

彼からこの言葉をもらって…


そう… 私は家族を愛しながら

さらに、まわりの人、すべての人を好きになるよう努力しよう。

そうすれば自分も幸せになれるのだと思いました。



文章にすると当たり前の事ですが

改めて心に刻むきっかけになった出来事でした。


それからは、どんな時でも笑顔でいられる自分がいます。

そうすると、自然にまわりの人々も笑顔になるのです。

こんな簡単な事が今まで気が付かなかったのです。




フィリピンの24歳の男の子に教えてもらいました。

恥かしい…((^_^;)

フィリピン人との出会い

マニラ湾


一昨年夏…

留学生とボーイスカウト合同の旅がありました。


私は2人の息子と共に参加しました。

そこには、3人のフィリピン人が参加していました。



1人は産婦人科のドクターで

日本の大学に留学しているラテン系の顔立ちの男性。





もう1人は殺虫剤の研究をしているという

フィリピ―ナという言葉がピッタリの

キュートでシャイな女性。



3人目は…

『 えっ!本当にフィリピン人?』

と聞きたくなるような男の子。

色白&東洋系の顔立ちで、しかも日本語はペラペラ!!

彼等の中で1番幼くて学生っぽいのに

この男の子だけが日本で働く社会人でした。


話を聞くと…

男の子は24才で、20才から日本の企業に働きに来ていました。



      

こんなに若い男の子が… 

日本に出稼ぎにきて親に仕送りしているのね…

可哀想だな(ToT) 淋しいだろうな(TOT)

ちゃんとご飯食べているのかな…


その時、全くフィリピンを理解していなかった私は

真剣こんな事を思ってしまいました(^^;


我ながらスゴイ偏見というか勉強不足ですねー

しかも半年近く、そう思い込んでいましたからf(^_^)




あとから知ったのですが…

彼は中国系で、両親は会社を経営していて

彼自身はUP卒業後、日系の大企業のエンジニアになり

日本で仕事をしていたのです。

いわば、超エリートでした。


でも、そんな素振りは全く見せず外見は可愛い男の子。

しかし、中身はしっかりとした考えを持っている青年。

それだけ彼の思考は完成された大人でした。


だんだんと本当の彼が解った私は

その度に、驚いたり感動したり…





日本人のフィリピンに対する印象は

残念ながらあまり良いものではありませんが

私は、この男の子と知り合ってから

フィリピン人って凄い!! フィリピンをもっと知りたい!!

と思うようになりました。






ネズミ事件!!

サンパギータ    

       国花・サンパギータ


今から4年前、友人が渡比しました。


やはりボランティアの旅です。

その日程の中で 

"スラムに1泊”するスケジュールがありました。

現地の生活を体験して

現地の人達の気持ちを理解するのが目的のようです。


ホストファミリーのパパとママは

彼女のために、その家で1番の部屋を空けてくれました。


夜中、寝ていた彼女は…

枕もとで何かが動いた音で飛び起きたそうです。

正体はわからないけど、怖くなって

隣の部屋に乱入し

ぐっすりと寝ていたパパとママを起こし

『私を2人の間に寝かせて~ C= C= \(;・_・)/』

それもどうかと思ったパパが彼女の部屋に移り

彼女はママと一緒に寝たそうです。


次の日、なにやら大騒ぎになっている家族たち…

何事かと覗いてみると床にパパが横たわっていて

額の治療をしていたそうです。


そう…

彼女と部屋を交代したパパは彼女の身代わりになって…


ネズミにかじられたのです!!

フィリピンのネズミ、恐るべし!!\(◎_◎)/




彼女は"ネズミ事件”以外にも

いろいろなビックリ体験をしたそうです。

フィリピン人に負けないくらいに瞳を輝かせながら

おみやげ話を聞かせてくれました。


もちろん、彼女がフィリピンを大好きになって

帰国したのは言うまでもありません。







フィリピン土産

フィリピンへの興味を持ちながらも、

日々の家事、子育て、仕事などに追われる私は

渡比するチャンスもないまま

渡比した友人の話を聞いたり、お土産をもらったりして…

フィリピンとの接点はそのくらいのレベルでした。


私の周りには何人かのフィリピン大好き人間がいます。

私が慕う神父様は

毎年のようにフィリピンへボランティアに出掛けているのです。

その時、何人かの希望者を引率しながら

お金や支援物資を届けるのが目的なのです。


だけど、本当の目的は

私達のような毎日を平凡に過ごしている日本人に

フィリピンの現状を知ってもらう事と

現地の人々の優しさ明るさ逞しさなどを

肌で感じてもらうのを最大の目的と考えているのだと思います。


このように思ったのは、

後に私自身がフィリピンへ行ってからのことですが…。


それまでは、ストリートチルドレンの話、

スラム街の話、スモーキーマウンテンの話、

どんな話を聞いても想像がつかないために

ピンとこなかった自分です。




ある時、

ルソン島のライ病患者の施設を訪問した友人から

赤頭巾ちゃんのお土産を貰いました。

それはとても細かい細工の作品でした。

洋服を裏返したり頭巾を脱がせると、赤頭巾ちゃんからお婆さんに

お婆さんからオオカミにと、変身する見事な物だったのです。


赤頭巾ちゃん2 赤頭巾ちゃん1


           ひとつの人形が変身するんですよ


                           赤頭巾ちゃん3


これを作ったのは手足が不自由なライ病を患っている人々だ!

という驚きで

手芸を趣味としている私は、ただただ感心しました。


でも、その時

ライ病の知識が無かった私は

菌に感染するのでは?と不安になり

触ったり、ひっくり返したりして遊ぶことができなかったのです。


その後、

1年ほど赤頭巾ちゃんはガラス戸のキャビネットに

入りっぱなしという仕打ちを受けてしまいましたf(^_^)



~現在の話です~


昨夜 "世界がもし100人の村だったら"を放映していました。

"マニラのゴミの山で12歳の少女が家族のために生きる姿"

私も5ヶ月前、同じ場所に行ってきました。

かなり踏み込んだ内容で考えさせられる内容でした。

ただ、あの日本では経験できないような悪臭を

視聴者にわかってもらえたら

パーフェクトな仕上がりになるのでしょうが…(もちろん無理)

リポーターの酒井美紀さんももどかしかったのでは?と思います。


スモーキーマウンテン


女子高生の涙

子供達


今から10年ほど前・・・


1人のガールスカウトが

夏休みを利用しボランティアを体験しました。

そこはフィリピンで南に位置するミンダナオの孤児院。

その時の体験談を仲間のスカウト達に話してくれました。



それまでの私と言えば・・・


フィリピンという国は熱帯で

マラリアなどの伝染病が蔓延していて

アキノ上院議員が暗殺され

クーデターが起きたりする物騒な国で


"小野田さん横田さんがジャングルから生還"という

幼少時代の記憶から

"ほとんどの国民は、裸同然でジャングルを駆け回っている"と

ものすごい勘違いというか…偏見というか…(^_^;)?




彼女の話は・・・


『そこの子供達は親に捨てられたり、親が亡くなって身寄りの無い子供達。

でも、みんな瞳がキラキラ輝いていて、人なつっこい笑顔で、

活き活きしていて

もっと一緒に遊びたかった。まだまだ帰ってきたくなかった。』


彼女は、こんな話を最高の笑顔で話してくれました。

話はこれでおしまいです!という雰囲気で間があいたのです。


すると一緒に話を聞いていた神父様が立ち上がり

ゆっくりと

『○○ちゃん、それで終わりではないでしょう?』と促しました。


彼女は一瞬ドキ!っとした顔をして、

その後、天井を見上げ

フゥ~という深呼吸をして、また話し始めました。


『私が帰る時、子供達はお菓子をプレゼントしてくれました。

とても少ないお小遣いを出し合って買ってくれたそうです。

本当は、自分で食べたいだろうに我慢して私にくれたんです。』


そう言った瞬間、彼女の目からは大粒の涙が・・・

その優しい涙は

次から次と溢れて出していました。

言葉では言い表せない感情を

どう表現していいのかわからない。

私には、そんな感じに見えたものです。




"あ~この子は、とても貴重な体験をしてきたのだ"

その場にいた大人は全員がそう思ったことでしょう。

普段おとなしく感情を表に出さないこの子の中で

どんな心の葛藤があったのでしょう。


私のフィリピンへの恋心は

この日、彼女の涙を見てから始まりました。


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