フィリピン大好きo(^o^)o -28ページ目

裕福層の子供達

次に、私達は日曜学校のようなところを訪問しました。


そこは、屋根ほどの高さの塀で囲われ

ゲートには、やはり銃を持ったガードマンがいます。


ちょうど、3才の女の子の誕生パーティをやっていました。

オーチョオーチョを踊ったり楽しそうです。

今まで会った子供達とはあきらかに違う感じです。

着ている服、髪型、気のせいか肌の色も白い気がします。


ケータリングサービスでしょうか?

キャラクターの衣装を着た大人がいます。

プロのビデオカメラマンもいます。


saturday2



主役の女の子のお母さんがいました。

見るからにお金持ちの奥さんと言った感じです。

普段はオーストラリアに住んでいて

この日は、里帰りしていたそうです。



saturday1


特大のバースデーケーキです。

値段は500ペソ位で、味はバタークリームです。


こんな大きなケーキが日本円で1000円!!(@_@。

私も食べたいな~ 

今度、フィリピンに来た時は絶対買って食べようっと!!

大きくて食べきれないからホームレスの人にもあげよう♪


甘党の私は、そんな事を考えていました(^O^;



saturday3


ふと、外を見ると…

貧困層の子供達が塀越しにこちらのパーティを見ています。

塀の外と中、すごいギャップです。


こちらは歌って踊って笑っているのに…

あの子達も一緒にパーティに参加できたらいいのに



心が痛みました(T.T)

でも、外の子供達は笑っているんです。

そして、こちらの音楽に合わせて踊っていました。



Pagbutihan ninyo! みんな頑張れ!

高山右近

マニラ初日はショッキングな現実の連続でした。


見てはいけないものを見てしまったような後ろめたい気持ちと

しっかり見て記憶して、こんな現実がある事を

皆に伝える責任ができたような気持ちで

心の中はパニックになっていました。


セブの男の子からTEXTが届きました。

“フィリピンに着いた?マニラはどう?”


すぐに返信をしなければと思いながら

どんな返信をしていいのか悩みました。


彼もフィリピン人なんだ。

今日見てきた事の感想をストレートに言ったら

彼は"フィリピンをバカにしないで”と

気分を悪くするんじゃないだろうか?


私はこんな事をクヨクヨと考えて

あたり障りの無い返信をしました(日本人の性格ですね)



主人からもTEXTが届きましたが、この返信も悩みました。


水を飲んじゃいけない。

いたるところにホームレスがいる。

小さなコンビニにさえ銃を持ったガードマンがいる。

こんな報告をしたら心配するだろうな


そう思って主人への返信も

“何も心配いらないよ。思ったより快適です”


こんなメールを送りました。


ukon

2日目は高山右近の記念碑を見に行きました。

全く予備知識を持っていなかった私は

高山右近がマニラに 足跡を残していた事に驚きました。


キリシタンだった右近は徳川家康によって

1614年、国外追放されマニラに追放されたが

マニラでは偉大な信仰の勇者として大歓迎されたそうです。

翌年、マニラで熱病にかかり亡くなりました。


その為、比日友好公園に高山右近像が建てられたそうです。


この美しい公園にも場違いな感じでホームレスが居ました。


たくさんの子供達が少し離れた場所から私達を見ています。

きっと、恥ずかしがり屋さんなのでしょうね…


メンバーの1人が折り紙で折った鶴を持参していたので

それを子供達に配りました。

皆、とっても喜んで遊んでくれました。


多分、日本の子供達は折り紙には見向きもしないでしょう…。




でも、ここの子供達は心から喜んでくれました。


takayama ukon

      

いいなぁ~みんな純な心なんだね♪

道ばたのお葬式

お腹が一杯になった私達は

ジープニ―が待つ場所までゆっくりと歩きました。


ばたでは子供達が無邪気に遊んでいたり

女子学生がお喋りしながら歩いていたり

とてものどかな町並みです。


彼女達の制服は、

清楚な白の長袖ブラウスに白のベストと

黒っぽいロングスカートです。


こんなに暑い国なのに長袖にロングスカートで

あんなに寒い日本の女子高生は超ミニスカートで

逆のほうが合理的だな…

なんてつまらない事を考えていました。




突然、先頭を歩いていた神父様が立ち止まりました。


私達に向かって振り返ると 

『お葬式ですよ』 と言いました。


『えっ! どこ?どこ?』 

私は見つける事ができません。

日本のお葬式の花輪や霊柩車を思い浮かべていました。



神父様は 私達の目の前のテントに歩み寄りました。


お葬式


3畳ほどのテントの中に白い棺があり

ご主人らしい人の写真が飾ってありました。

傍らには、憔悴した奥さんと小さい子供。

そして小学校高学年か中学生位の男の子がいました。


他には誰もいません。


話を聞くと、ご主人は病気で亡くなったそうです。

年齢は40才。

私達は、この家族のために心からお祈りを捧げました。



励ましてあげる言葉が見つかりません。

目に涙をためたお母さんに

頑張ってくださいと言う気持ちを込めて

深くおじぎをする事が私にできる精一杯の事でした。

隣の息子さんも目礼を返してくれました。

『ありがとう、頑張ります』 

そう言っているような深く力強い彼の瞳でした。



テントの近くでは…

近所の子供達が元気に走り回り

ベンチには、なにげなく座っている人がいました。



あとから神父様に聞いた話ですが…

先ほどの遺体は体から血液を抜いて

替わりに薬品(防腐剤)を入れているそうです。

遠くから親戚が来る為、1週間お葬式を続けるのがその理由です。

棺もレンタルなのだそうです。



それにしても、こんな人口の多い町なのに

病院をほとんど見かけません。


これも後から聞いた話ですが…

医療関係の学校に行っても就職が難しいそうです。

病院の数が少ないのでしょうか?




今日もまた、心が痛む出来事に出会ってしまいました。


職業訓練校

訓練校


職業訓練校を訪問しました。


車のメカニック、ミシン、園芸など多種類の学科がありました。

皆、揃いの真っ白いTシャツを着ています。

Tシャツの背中に学科名がプリントされています。

"Mechanic" "Gardening" といった感じです。


整備の実習を見学しましたが

学生達が真剣な顔で勉強に励んでいたのが印象的でした。


綺麗な庭があり広い校舎で勉強するのが楽しそう…


しかし、この学校も資金難だということで、寄付金を渡しました。

Publicでは無く、カトリック系の学校らしいです。


フィリピンに来てから、驚いたり動揺したりすることもなく

初めて平穏な心で見学ができる場所に来たような気がします。




私達は ちょっと遅めの昼食を取ることになりました。

庶民の食堂と言った感じのレストランです。


牛肉、シーフード、野菜炒め、色々と注文しました。

その中でも私が気に入った料理は、

ガーリックライスとバナナケチャップ&フライドチキンです。

夏バテになりそうな暑い国、フィリピンでは

元気が出るニンニクと、スパイシーなバナナケチャップは

ベストマッチだと思いました。


朝から今まで、慌しく見学していた私達は

やっと、イスに座って、ゆっくりとお喋りをする時間を持てました。


代表的なビール、サンミゲルを飲みながら…


ビールよりミネラルウォーターの方が高価と聞いて驚き

ビールにカラマンシ―とスプライトを入れると聞いて驚き

ビールに氷を入れて飲むのが普通と聞いて驚き

驚きっぱなしの私達でした。



でも、視点を変えると

私達は 日本でのビールの飲み方が普通と思い込んでいただけで

フィリピンの人が 日本のビールの飲み方を見たら

反対に驚くのかも?と思いました。


そんなたわいの無い事を考えながら

レストランの窓の外を見ると、日本とは違う景色があり

今 私はフィリピンにいるんだなぁ~

と改めて実感しました。

昨日の昼まで、真冬の日本にいたのが遠い過去の事のようです。



まだ半日しか経っていないのに

随分と、大勢の人々の人生を垣間見た気がします。




『そろそろ、行きましょうか』 

神父様の声が聞こえました。





スモーキーマウンテン

ゴミ山



ヘルスセンターの次は、スモーキーマウンテンです。



私達が訪れた場所は

正確にはスモーキーバレーと呼ばれる地域だそうです。

一般にスモーキーマウンテンと呼ばれる場所より

ココは規模が小さいそうですが

それでも2万人の人々がゴミを拾いながら生きています。


覚悟はしていましたが…

ジープニ―がその場所に近づくにつれ

どんどん臭いがきつくなってきました。


『鼻を押さえたら失礼にあたるので我慢してね』

私達がスモーキーマウンテンに行くと知ったジョンからのアドバイスです。



とうとうジープニ―はその場所に着きました。

息を止めても防ぎようのない悪臭。

こみあげる吐気を我慢すると涙目になってしまう


真っ黒いタールのような地面。

地面に靴がめり込んで歩きにくい


次々に入ってくるゴミ収集車に飛びつく人々。

小学生くらいの子供も大勢いる


周囲には2畳ほどのほったて小屋がひしめき合っている。

一体、この小屋でどうやって家族が寝るのだろう?


この地域の人々は、日焼けではなく、

煤で汚れているためとても黒い顔をしていました。



トラックや重機は、大勢の人がゴミを拾っているのを

全く気にする様子も無く走り回っています。

そのため、トラックやブルドーザーに挟まれる事故は

頻繁に起こるそうです。

たしかに、バックしているゴミ収拾車が止まらないうちに

後から飛びつくのですから事故が起きないはずがありません。


幼い子供も大勢いますし、

子供達も大人同様ゴミを拾い集めています。



ここは…

日本で普通に生活する私達にとって

あまりにもショッキングな場所でした。


驚いた顔で見渡すのは失礼なのではないだろうか?

でも目をそむけて歩くのも失礼だし…

一体、私はどうしたらいいのだろう?


小さな声で『ハロー』と言うのが精一杯でした。

返答は、もちろん笑顔で 『ハロー』 と返ってきます。


多分、私は引きつった作り笑顔で挨拶しながら歩いていました。




小さなアジのような魚が入った紙皿を持ち

立ったまま食べている男性がいました。


この臭いの中で、よく食事なんかできるな…


そう考えながら歩いていた私の背中に向かって


『一緒に食べないかい』


振り返るとその男性が笑顔で紙皿をかかげました。



こわばった顔で歩いている私達をからかったのだろうか?

それとも、本心からのおもてなしの心だったのだろうか?

どちらにしても、あの男性の笑顔は本物でした。



再び来る機会があったら…

今度は私から 『 味見させて♪』 と話しかけてみようかな…


カノッサ ヘルスセンター

ヘルスセンター


シスター達が忙しく働いていました。


ここはカトリック系のヘルスセンターです。

そのため建物のいたるところに 小さな祭壇があり

なんとなく心が和みます。


マリア


ここでは受診も薬もすべてが無料ですから

貧しくて病院にかかる事の出来ない人々が押し寄せています。



シスター達は、皆とても忙し動いています。

でも、どの顔にも優しい微笑みが溢れていました。



センターは寄付で運営されているそうです。

そのため薬がふんだんにあるわけではないので

薬草を煎じて漢方薬を作っていました。


私達が運んできた抗生物質はここに届けました。


でも、これだけの人が押し寄せてくるのですから

薬は、何ヶ月もたたないうちに底をつくのだろうな…




庭にマンゴーの実がなっている木を見つけました。

初めて見た感動で、写真を撮っていると

子供達も 『写して! 写して!!』 と大勢やってきます。

カメラのファインダーを覗くと ドアップの子供達が…



そのうち…

子供を抱いたお母さんが写してくださいと寄ってきました。

私は、OK!と言って何枚か写したのですが

もっと写して欲しいようで、いつまでもカメラの前から離れません。

わけを聞くと、貧しくて子供が生まれてから

写真を1枚も写した事が無いのだそうです。


いっぱい写して、あとで送ってあげよう…


私は何枚も何枚も写真を撮り続けました。



mother


最初の訪問地 ハッピーランド 


happy


このエリアの入り口に紙が貼ってありました。


こんなショッキングな場所の名前がハッピーランドだと言うの?


タガログ語は、よく解らないのですが

"訪問(弔問)感謝します。ありがとう"

事実はどうなのでしょう?




ここはスラムエリアです。

海の上に板を渡し、その上に小屋を作って住んでいます。

トタンを適当に貼り付けただけのどこまでも続く長屋?

いつ崩れても、いつ落下してもおかしくない腐りかけた板の上を

私たちは恐る恐る、歩きました。

隙間からはゴミと油の浮いた海面が見えます。



外は快晴なのに、ここの通路はとても薄暗く

頭上には水がしたたる洗濯物がズラリと干してあります。


この大量の洗濯物・・・

大家族なの?綺麗好きなの?

私たちの頭にはポタポタとしずくが落ちてきます。



巾1mほどの狭い通路では

いたるところで、女性達が洗濯とニンニクの皮むきをしています。

ニンニクの皮むきは、大切な収入源になっているそうです。

でも、そのニンニクの臭いがここの地域の悪臭に

さらに拍車をかけているようです。

それにしてもここの女性は働き者です。



1人のおじさんと目が合いました。

神父様に、

『挨拶をしてくださいね。もしくはアイコンタクトでもいいです』

そう言われていたので、

私は 『Hello!!』 と言いました。


おじさんは ニッコリ笑って

『My life is very happy!!』 と言いました。


えっ! 本心なのだろうか…???



dog


飼い犬でしょうか。

痩せた犬が あちらこちらにいます。




さらに奥へ進むと

栄養失調で あと数日しか生きられないという

13歳の男の子がいました。


えっ!この子が13才!?

それほど、小さい男の子でした。


彼はイスに座らされていて、虚ろな目をしていました。

私は自分の息子と重なり涙が止まりませんでした。

同じ年齢なのに日本に生まれた我が子は

あたり前のように教育を受け、友人と遊び、スポーツに励み

楽しい毎日を送っています。


もう一方の子は、

自分の意思とは関係無くスラムエリアで生まれた為

ただ死を待つだけ…


神父様はその母親にお金を渡しました。


あなたはそのお金を、どんな事に使うの?

そんな事を考えながら

その太った母親を冷めた目で見る私がいました。




他にも何人かの障害を持った子供がいました。


もしかするとゴミからのダイオキシンが影響しているの?

漠然とそんな事を思いました。



子供達


こんな環境でも子供達は元気です。

カメラを向けると笑顔でポーズをとってくれます。

みんなガンバレ!そんな事を思いながら

私はシャッターを押していました。



マニラ初日

ペンション

      ペンションからの景色



いつもは寝坊の私ですが、やたらと早くに目が覚めました。


さっそく自宅で心配しているであろう主人にTEXTを送りました。

“おはよう!私は元気だよ。こっちはとても暑いの!!”


すぐに返信が来ました。

“ずいぶん早い時間だけど、そっちは何時?”


家族の中で1番に寝坊の私から

日本時間で朝の4時にTEXTが届いたのですから

何事かと驚いたのでしょう…f(^_^)




とうとう、フィリピンに来たのだ!!と思うと

もったいなくて寝てなんかいられません。


部屋から外に出てまわりの景色を見ると

ペンションのスタッフがバスケットボールをしています。

中庭では何組かの欧米人がコーヒーを飲んでいます。


こんな朝早くからのどかだな~♪




中庭でコーヒーを飲んでいる人、すれ違うスタッフ、

みんなが 『HELLO!!』 と声をかけてくれます。


日本とは違う陽気な雰囲気…


いい感じです。



ペンションのまわりは高い柵で囲われていて

ゲートには銃を持ったガードマンがいます。

柵の向こう側は、何人ものホームレスがウロウロしています。


なんだろう!このギャップは…


近くの市場に朝ご飯を買いに行きました。

ペンションのゲートから1歩外へ出ると

あちらこちらから視線を感じます。


怖い~(ToT)


ホームレスが大勢いるのです。

目が会うと、こちらに走ってきます。

ススで汚れたような手を力無く差し出してきます。


『ソーリー』


私達は、それだけ言うと走りました。


お金をあげたいような…

でも、1人にあげたらその辺りにいる全員が集まってきそう…




まだ、6時だというのに市場はスゴイ活気です\(^o^)/

モンキーバナナと言うのかな?とても小さいバナナを2房と、

日本に比べると小さい食パン(8㎝角位)を買いました。

本場のバナナは想像してた以上に甘くクリィ―ミーです。

パンも日本のとは違い、しっとりしてsweetでした。

バナナを食パンではさんで食べました。

なんともシンプルですがクセになりそうです。


あわただしく食事をして、お祈りをすませると

神父様の 『8時に出発です!』 の声。


ゆっくりする暇もなく、私達はジープニ―に飛び乗りました。



"騒音とスモッグの街" そんな表現がピッタリのマニラ。

道路は人も自転車も車も入り乱れています。


交通ルールは無いのかな?

それにしてもこの国の人は、きわどい運転をしているな

このスモッグ、喘息の人は辛いだろうな


漠然と、そんな事を考えていました。


ジープニーから見るマニラの景色は

ヤシの木がいたるところにあり

日本とは、まったく違う風景…


なんだか、ドキドキしちゃうな♪

私はここでどんな経験をするんだろう…



とうとう、マニラでの1週間がはじまりました。

フィリピンへ初上陸

出発の日、私は家を正午に出発しました。



彼の残していった言葉

 

『 たったの4時間で着くよ 』


たしかに直行便ならそうだけど…

家から12時間とは…

やっぱりフィリピンは遠いよ

そんな事を考えながら窓からマニラの明かりを探していました。


キャセイパシフィックだったため香港で乗り換え

マニラ空港に到着したのは日付が変わる寸前でした。




空港に降り立つと、ラッシュアワーのような人ごみです。


ヤバイ!皆からはぐれたら大変!!


なにがなんだか解らないまま、メンバーの背中を追って

くっついて行くのが精一杯の私でした。



税関のスタッフは…

あれだけ笑顔のステキなフィリピン人のはずが

ニコリともしない、ギロッとした目で私達を見ています。


ヤバ、薬がばれたの?それともリンゴがばれたの?


果物も持ち込み禁止だというのに荷物に入っていたのです。




税関のスタッフと神父様が

聞き取れないくらいの速さの英語で話しています。
その後、神父様はこちらを振り向きお茶目なウィンク。

スタッフは笑顔になっていました。

(2人の間でどんな会話が?)



帰りは一人ぼっちでここから飛行機に乗るんだ

大丈夫だろうか…





無事、税関を通過した私達は

人ごみをくぐり抜け一目散に出口へ…

そこには今回のマニラ滞在のために雇ったガイド、

ジープニ―のオーナー、そして一足先に渡比していた友人が

思いっきりフレンドリーな笑顔で手を振っていました。



ムッとする熱気と、派手な色彩のジープニ―

いたるところにあるヤシの木、色鮮やかなネオン

同じアジアに来たというより、アメリカに来たのかなと

錯覚するような異国情緒を感じました。


あ~いよいよ、今から私のフィリピンの旅が始まるんだな…



ペンションへは2時頃に到着しました。

私ともう1人が同じ部屋。

彼女は、もう何度もフィリピンへ来ているので

(彼女曰くかぞえた事が無い)

勝手知ったる我家といった感じでしょうか。


部屋に入って電気を付けたら

床にグリーンのトカゲ?ヤモリ??


『 うわぁ~!!』

と叫ぶ私に


彼女は普通に

『 あ、それ、今、踏んだから死んでるよ。ムギュって感触だったもん』




フィリピン馴れしたこの彼女、おそるべし!!


トカゲ

 私達を最初に迎え入れてくれた物体

憧れのフィリピンへ

主婦で仕事を持っている私が

2週間も家をあけるという事は一大事です。



会社では…

私が担当の仕事を2週間分、先に終らせました。

ヘトヘトでした。

普段は話のわかる上司も

さすがに2週間の欠勤にはシブ~イ顔をしていました。


私はと言うと…

10年来の夢が叶うわけですからクビも覚悟でした(^。^;)



家では…

おかずを作って小分けにして冷凍保存、

支払いのお金は用途を記入し封筒に入れカレンダーに貼り

細かいスケジュール、宿泊先の電話番号、

フィリピンで使うGSM携帯も用意しました。

(家族と連絡が取り合えればお互い安心ですから)



自分が持っていく荷物よりも

留守番をしてくれる家族が困らないように

パーフェクトの準備をしたような気がします。




いよいよ出発の日…

ほとんどのメンバーが空港で初対面でした。

高校生が2人、若い社会人が4人、私と同じ年代の女性が1人、
天理教の偉い人という初老のおじさん

そして、引率してくださる神父様の

全員で10人、多彩な顔ぶれです。



各自が最小限の荷物が入ったリュックを背負っています。

なぜ最小限かというと、各自の荷物は手荷物にして

それ以外の1人20kg分は全て援助物資なのです。


この援助物資が問題ありで…

薬などの抗生物質が山ほどあるのです。

フィリピンに薬を持ち込む事はできません。

でも、この薬を必要としている人は大勢います。

なんとか届けたい、でも税関で見つかったらどうしよう。

なんだか "怪しい運び屋" になった気分でした。




メンバーの皆は

お互いに知り会って間もないのでなんとなく静です。


今回の旅で

このメンバーとどんな時間を共有するのだろう。

どんな想い出をつくるのだろう。

彼等からどんな影響をうけるのだろう。


私はそんな事を考えながら待合室のイスに座り

搭乗までの何もする事の無い退屈な時間を過ごしていました。


援助物資