フィリピン大好きo(^o^)o -26ページ目

シッポと頭のディナー

" 僕はもうすぐホテルに着くよ、今どこにいるの?"


ジョンからメールが届きました。


メールを打つのは時間がかかるので、早速、電話をかけました。


『 もうチェックインが終って部屋にいますよ、Noは610号です 』


『 OK、すぐ迎えに行きます 』




今度は、電話がかかってきました。


『 ボク、部屋を間違ったみたいです。Mahalの部屋615でしょ?』


『 あ~!! 号(ごう)と、5(ご)を間違ったんだ!! 今何処?』


『 6階の廊下です』




すぐ近くにいるんだ!!! o(*^▽^*)o


私は、部屋から飛び出しました!!

そこには1年前と少しも変わらない、優しい笑顔の男の子が立っていました。


ホテルから



『 元気そうだね、変わってないね 』


『 元気だったよ、ところで部屋のキィはどうしたの?』


『 あー!! (゜〇゜;) 』


カギを部屋に置きっぱなしで飛び出したのです。




ジョンは少し呆れ顔で、近くにいたスタッフに頼んでくれました。


『 ここのルームキィーはカードタイプだから、

 貰ったらすぐにお財布に入れなきゃダメだよ 』


『 はい...わかりました (;^_^A 』


『 今回だけだよ、僕が助けるのは。今度やったら自分でね (`ー´) 』



『 おいおい、冷たい事言わないでよ…(^O^; 』


『 近くにいいレストランあるんだ。 夕食に行こう!! 』



レストランまでの道を歩きながら

明日の日中を1人で過ごす私のために、近辺を案内してくれました。

あたりはクリスマスツリーやイルミネーションが輝いています。


『 ここは両替する所、ここはモールの入り口、ここはプール・・・・・』

『 フィリピンではね、クリスマスツリーは2月頃まで飾るんだよ 』



今は1月で、日本では雪が降っていて、お正月を迎えたばかり。

そんな日本人としての感覚を蘇らせると

自分が不思議な空間にいるようで妙な気分になりました。



ホテルから程近い所に

雰囲気の良いフィリピン料理のレストランがありました。



『 Mahal、なに食べたいの?』


『 私はシーフード 』


『 じゃあ、僕はコレとコレ 』



間もなく運ばれてきた料理…

ジョンの注文した料理は、肉料理とシチューでした。


『 シッポのスープとブタの顔の肉料理,食べてみない?』


『 シッポと顔の肉だとぉ~~~\(〇_o)/』

勇気を出して、味見をしてみました。

想像してたよりずっと美味しかったです。



でも、フィリピンの人は変わった部位の肉が好きなんだな…

だから、マニラの朝市にもブタの顔が山積みで売っていたんだ…


それにしてもコラーゲンたっぷりで体に良さそう…


そう言えば、ジョンは1年前に比べるとポッチャリしている (^◇^)



『 明日は、トップスへ行くよ。仕事が終ってから友人達と迎えにくるね 』


そう言ってジョンは帰って行きました。



セブへ行ったらトップスからの夜景を見たい

ボホールでチョコレートヒルを見たい

ターシャに会いたい


この3つの希望をジョンは叶えてくれようとしています。
感謝の気持ちを伝えたいし、1年分の話も溜まっているのに

ジョンに会えた嬉しさで、胸が一杯の私は何も言えませんでした。




ホテルへ戻った私の楽しみはお風呂でした。
マニラではハードスケジュールで自由時間が無く

いつ虫が出てもおかしくない感じのシャワールームだったので

ゆっくりシャワーができませんでしたから…


今夜は優雅にお風呂だ♪ 1週間ぶり…(*`▽´*)


アレ...栓が出来ない.(゚∀゚;)  水が溜まらないよ…(x。x)




この夜、セブの高級ホテルの1室に…


バスタブの排水溝にタオルを詰め込んでお湯を溜め

『 極楽~極楽~~♪』

と言いながら

お風呂に入る変な日本人がいました…(T.T)



セブの、お喋りドライバー

隣に座っているスペシャルオデブちゃん…


ず~っと、彼のはみ出したお肉が

私の腕や腰に密着していて気持ち悪い…

ここまで太ったら、これはもう立派な犯罪だよ(`へ´)

なんて、思っていたら…


飛行機が左に大きく回旋して、

真っ暗だった窓の外が急に明るくなりました。

赤や緑、黄色、オレンジ...セブの街の明かりが眼下に広がりました。


うわぁ~!! 宝石箱がひっくり返ったみたい\(*^◇^*)/

吸い込まれちゃう~☆☆☆



それまで隣のオデブちゃんにイライラしていたのもすっかり忘れて

私は窓の外に釘付けになってしまいました。


とうとう、セブに来ちゃったんだ… 



飛行機が着陸したので携帯電話のスイッチをオンにしました。

とたんに2通のSMSが届きました。

セブの男の子ジョンからです。



"飛行機に乗った?今どこですか?"


"車に乗ったらメールください"




ジョンはセブで唯一の頼みの綱です。

彼からSMSが届き、この時私はとても安心しました。

外国での1人旅は始めての経験だったので

メンバーと別れた時から迷子の心境になっていましたから…(^o^;



ジョンは20才から4年間も一人ぼっちで日本に住んで良く頑張ったな…

私なんて、こんな少しの時間1人っきりになっただけでも不安なのに…


セブシティ


飛行機のタラップを降りたとたんに…

またまたスタッフが現れ、私のリュックを持ちながら

『 こちらです 』

と到着ロビーへ案内してくれました。



出口に、"Mahal "と書いたカードを持った人がいました。

次は、その人にバトンタッチです。


この人がホテルの人かな?


『 Wellcome!! Pretty woman 』


ぷ・ぷ・ぷりてぃうーまんだとぉ…(゚∀゚;)


日本では決して言われる事の無い言葉を

セブでは、5回も6回も言われちゃいました。

フィリピンの人は、とてもお世辞が上手です。




やっと、タクシー乗り場につきました。


ドライバーは何年も前からの友人のような笑顔を向けてくれました。

『 Hello!! Mahal, Δ〇∞÷♀×▲…♪ 』


この時、疲れと緊張がピークに達していた私は、

ドライバーの会話を聞き取る気力がありませんでした。

『 Hello 』

とだけ言い、シートの背もたれに寄りかかりました。



はぁ~ もうすぐジョンに会える・・・

どんな青年に変わったのかな・・・ 




タクシーが走り出しました。

あきらかにマニラとは違う風景、優しい感じの街並みです。


それにしても他のメンバーはマニラで極限の世界を見て

買い物もそこそこに帰国するのに、

私だけセブに来て、なんだか申し訳ない f(^_^)




バックミラー越しにドライバーと目が合いました。

先ほど無愛想だった自分に反省して、今度はニッコリ笑いかけました。


ドライバーはクルッと振り向き陽気なノリで話しかけてきました。

『 僕はペーターです。Mahal はセブに観光に来たの?』



運転中でしょー、後向きで運転しないでよ(><)!!

しかも、いきなり客の名前を呼び捨てです…




『 セブへは、大好きなボーイフレンドに会いに来たんです 』

『 Oh!! 貴方に家族はいますか?』


『 はい、主人と息子が2人います 』

『 Oh!! あなたの夫はジェラシー大丈夫? 』


『 いえいえ!! 彼は友達ですから 』

『 OK,OK!! 』



あとから、知ったのですが…

フィリピンでは ボーイフレンド=恋人

日本では ボーイフレンド=男の友人

この解釈の違いのために、ペーターは驚いたようです。




そうだ!! ジョンにメールしなくっちゃ…


" 今、タクシーに乗っています " 



ペーターの話の合間をぬって送信しました。


" 今ホテルに向かっているの?乗ってから何分経った?"


"1 0分くらいです、もうすぐホテルに着きます "


" OK!ホテルの受付で会おう "


いつもは、なかなか返事をくれないのに…

きっと、オバサンの一人旅を心配してくれているんだろうな…

ジョンに感謝です (^o^;





ペーターは 機関銃のように次々と話しかけてきます。


『 Mahal 明日の予定は?』

『 1人でセブの観光をします 』

『 僕のタクシーをリクエストしてください、ナイスな案内をします 』



『 Mahal メールアドレス持っていますか?』

『 持っていますよ 』

『 この紙にアドレス書いてください 』




『 Mahal 明後日の予定は?』

『 彼にボホールを案内してもらいます 』

『 それはいいですね、僕は行った事がありません 』




そのうちに、ホテルに到着しました。


『 ペーター、ありがとう 』

『 明日は、必ず僕をリクエストしてください。待っています。』


『 わかりました 』

『 Mahal,Good night, see you tomorrow!! 』





マニラ空港とセブ空港の4人のスタッフ、それとドライバー

誰にもチップを渡さなかったけど、良かったのかな~?




チップを渡すタイミングが全然わからない田舎者の私でした…(^-^;

マニラ空港 ビビリまくり!!

私は、ガイドの兄弟とオーナーに付き添われて空港へと向かいました。



マニラ

『 Mahalさん、今度はいつ来るの 』


『 また来年、来たいな 』


『 OK!! 楽しみに待ってるよ 』


そんな言葉を交わしながら私は3人と別れ空港の中へと入りました。



実はこの時、私の心臓はドキドキでした(*><*)

日本の空港は出発寸前まで見送りの人と一緒にいられるのに

フィリピンは国内線でさえ、空港の入り口で一人ぼっちになってしまうんです。


日本人の一人歩きは危ないと言われているし…

しかも、初めての海外一人旅…(v_v;)


しかたがない!! ここはフィリピンだ!!

バハラナだ!! なるようになるさ!!o(^O^)〇


なんとか気合を入れて、チェックインカウンターへ行きました。


スタッフは チラチラと搭乗券、パスポート、私の顔を見ています。 

『・・・・ OK 』

やった~(^-^)v


ホッとして歩き出す私に別の女性スタッフが走り寄ってきました。


『 Are you Japanese? 』

『 イ、イエ~ス.....』 なに? どうしたの? 


スタッフは、いきなり私の大きなリュックを持つとスタスタと歩き出しました。

何が起きたのか理解できず慌てて付いて行くと、

彼女は待合室のシートを指差して

『 ここに座って待っていてください 』

と言い残して行ってしまいました。


今のは、何・・・?


空港では日本人は格好の餌食になるらしいよ

トイレに入ったら荷物がなくなるらしいよ

桁外れのチップを要求されるらしいよ


真意のほどはわからないけれど、そんな巷の噂が頭の中をよぎり

私は搭乗までの約2時間を、イスから一歩も動けなくなりました。((>_<))



やっと搭乗案内のアナウンスが流れました。

乗客が搭乗口へ並びはじめました。


最後に乗り込もうと思い、まだイスに座り込んでいる私の方へ

先ほどとは別の女性スタッフが走ってきました。

彼女も私のリュックを持つと、さっきと同じようにスタスタと歩き出しました。


フィリピンの人は姿勢が良いので歩くスタイルもカッコイイ…\(^o^)/

いやいや!!そんな事考えている場合じゃない…


彼女は搭乗口を出て、飛行機のタラップの方へと歩いていきます。

私は並んでいる乗客の視線を感じながらスタッフの後を追いかけました。


えっえっ?何、何?どうしたの~(◎_◎)?


女性スタッフは、タラップに立っている男性スタッフと

何やら話をしています。


私のリュックを彼に渡すと、女性スタッフはにっこり笑い

『 Have a nice trip 』

と言い残してどこかへ行ってしまいました。



タラップのスタッフがクルリと私の方へ向きを変え

『 Welcome !! 』  

ニカッと白い歯で笑いました。



気がつけば私はこのセブ・パシフィックに1番乗りをしていました(^O^;


左2列右3列座席の狭い機内を見渡すと

シートや壁に 剥がれた箇所があります。

かなり、古い機材なのだという事がわかりました。


何十年前の機体かな?

大丈夫だよね…

墜落なんてしないよね…(・・;)



しばらくすると私の隣に男性が乗り込んできました。

乗り込むというより、自分の体の肉を押し込むと言う表現がピッタリです。

150キロは超えているな~と思われるスペシャルオデブちゃんです(*_*)

彼のお肉が私の座席にまではみ出してきています。

機内は蒸し暑いし、お互い半袖を着ているので腕が密着して…


キモチワルイ~(=`´=)


ビジネスクラスかファーストクラスに乗ってよ~(;`O´)o

飛行機が傾いちゃうじゃないの~


私、立ち上がれません。(T-T)


だって、立ち上がったとたん私の座席が

彼のお肉に侵略されちゃいそうなんです…(;¬_¬)




機内アナウンスが始まりました。

最初は英語、次はタガログ語、その次はビサヤ語、最後はイロカノ語???

さすがは国内線、ローカル色豊かです。


緊張と不安でドキドキしている私の心臓…

そんな私を乗せて飛行機は、

懐かしいジョンの住むセブへと飛び立ちました。

現地スタッフ

今回の旅で私達は4人のフィリピン人にお世話になりました。


ジープニ―のオーナーとドライバー、ガイド役の兄弟。

4人とも、陽気でフレンドリーで気配りの出来るとても優しい人達でした。



オーナーはジープニ―数台を所有して、サリサリショップも経営しています。

私は このオーナーは、お金持ちなんだ!! と思っていました。


でも実際の話を聞いてみると、かなり貧しい生活なのだそうです。

息子さんは耳が聞こえないため施設に入っているそうですが

その施設が公立では無いので高額な費用がかかり

娘さんは テング熱にかかってしまい

治療費を5000ペソ工面しなければならないそうです。


この頃には、私も1ペソの価値を理解しつつありましたので

とても気の毒に思いました。



実は、セブでは1泊10000円のホテルを予約していました。

もっとリーズナブルなホテルでも良かったのですが

セキュリティや便利さなどを考慮して、このホテルに決めました。


5000ペソあれば、娘さんの治療費が払えるんだ…

セブでのホテルのランクを下げて、その浮いたお金をオーナーにあげたら

オーナーは、きっと喜ぶだろうな…


でも、結局は寄付をしませんでした。

自分がでしゃばるのはどうなのかな?と考えてしまったのです。

(…こんな考え方が日本人の性格なのでしょうね…)


帰国してから、やっぱり寄付すれば良かったと後悔しました。

今でも、娘さんがどうしているのか気になるんです…(T_T)



ガイド役兄弟の弟は病院でインターン勤めをしています。

20代半ばを過ぎた彼は、病院勤務をしていてもインターンのため無収入です。

しかし、この先も彼が給料を貰える病院に勤務するのは難しいそうです。


今回、日本から同行したメンバーの女性は10年ほど前から、

縁があって、彼の学費&家族の生活費などを援助しているそうです。

一緒にガイドをしてくれたお兄さんには奥さんと子供がいるのですが

やはり、このお兄さんも無職なのだそうです。


フィリピンでは就職するのが難しいのか?

それとも日本人に比べて勤労意欲が乏しいのか?

私にはよくわかりません…


この兄弟にはもう1人兄がいたそうですが

銀行のガードマンをしていた時に、強盗と銃撃戦になり亡くなったそうです。


やはりフィリピンでは銃問題は身近なのだと思いました。

私が想像する以上に 

フィリピンは危険と背中合わせの国なのかもしれません。



boss


なぜ私は、フィリピンをこんなに懐かしく思うのでしょう。

きっとここは、何十年か前の日本の空気が漂っているから…

隣近所の付き合いが親密で、親兄弟と仲良く助け合って

大家族で楽しそうに生活していて

他人の子も自分の子も関係なく面倒を見て

近所には駄菓子屋さん(サリサリ)があって


そう…

私の子供の頃の時代に似ている…

だから、懐かしい気持ちになるんですね…


将来、フィリピンが先進国の仲間入りをしても

今の日本のように殺伐とした寂しい国になって欲しくない…


もっと、ここで懐かしさを味わっていたい…



私は後ろ髪を引かれる思いで、マニラを後にしました。

ちょっぴり危ない?キアポマーケット

その昔、サン・アントニオ教会は貧しい人々のために作られたそうです。


しかしその後、お金持ちがこの場所にどんどん引っ越してきて

今では、豪華結婚式を挙げるための教会になってしまったそうです。

ドイツ人神父様が苦笑いしていました。


像

       SanAntonioChurch


お土産を買うためにキアポマーケットへ行きました。


私はセブでお土産を買うつもりだったので余裕がありましたが、

他のメンバー達は、買い物をするチャンスがこの日この時だけです。


制限時間はジャスト2時間!! 

買い物ゲームのようです(`▽´)

あっちのお店にいたと思ったら、こっちのお店から出てきたり…

観光旅行ではないと言っても、

会社や家族へ買わないわけにはいかないのでみんな必死です。


まるで瞬間移動してるみたい…(^o^)


普通の観光旅行で買い物の時間が2時間のみだったら

参加客はツアー会社に激怒するでしょう。


同行のメンバー達も、思う存分買い物をしたかったと思いますが

誰1人として文句は言いませんでした。


旅の本当の目的は人と人とのふれ合いです。

観光地巡りや買い物をするのが重要な事ではなく、

現地の生活や文化を知る事こそが本物の旅です。


きっと、メンバー達は

今回の不思議な旅を通じて、それを理解していたのでしょうね…



マニラ


皆が買い物をしている間、私と相棒の彼女はお喋りをして過ごしました。


『 マニラってホームレス多いよね 』


『 都会の方が仕事あると思って来るけど,いざ来てみたら何も無いって感じかな』


『 フィリピンの人って、みんな笑顔だけどホームレスの人は笑顔が無いよね 』


『 笑顔が無いって言うより、目が死んでる感じがする 』


『 フィリピンって親戚みんなで助け合って生きているでしょ。

貧乏でも心にゆとりがあるから笑顔なの。

でも、ホームレスって親兄弟や親戚とも縁が切れてしまうから

この上無く極限状態なんだよ。』


『 そうか!! だから、虚ろな目をしているんだ 』



彼女と歩道を歩いていたら、歩道橋の下にホームレスが座り込んでいました。

目が合ったので、何気なく見てみると彼の腰には拳銃がありました。


あら、この人ったら拳銃なんか持ってる…


マニラに来てすぐの頃は、

ガードマンの持っている拳銃が珍しく、見るたびにドキドキしていたのですが

1週間もたつと、私は銃に対してかなり鈍感になっていたようです。


しばらくしてから、事の重大さに気が付いた私は…


『 うわぁ~!! さっきの人、拳銃持ってたよー\(〇_o)/』


『 アンタ、今頃になってなに言ってるの o(`_´)o 』


この時、私は慣れるって怖いと思いました…

老人ホームでの奉仕

死を待つ人々の家…



ずいぶんショッキングな名前です。


以前、ここと同様のインドの施設にいらっしゃるシスターと話をする機会があり

『どうしてこんな暗いイメージの名前をつけたのでしょうか?』

と質問した事がありました。


彼女からの返事はこうでした。


『日本人は暗く考えるでしょうけど、そこに住む人々はそんなに暗いイメージを

持っていませんよ。死ぬ事は怖い事ではなく、神さまの元へ行く事ですからね。

むしろ、悲しい事は道ばたで倒れていても誰にも振り向いてもらえない事です。

私達の施設に連れてくる事によって、自分を認めてくれる人がいるんだという事に

気が付く事のほうが大切なのです。』


school


施設に入っていくと…

ここではホームレスにも食事を支給しているそうで

通路には大勢の人々が並んでいました。


皆、食べる物が無くて食事を貰いに来ているにもかかわらず

ちょっと恥ずかしそうではありますが

私達に、笑顔で 『 HELLO 』 と声をかけてくれます。


部屋に入ると、イスに座って元気そうな老人もいますが

施設の名のごとく、ぐったりとベッドに横たわっている老人もいます。

元気そうな老人は 『 HELLO 』 と言いながら手を振ってくれます。

しかし、起き上がる事が出来ない老人も目で合図をしてくれたり

力無くではありますが、手を振ってくれました。


私のほうが元気に声を掛けなければならないのに…

痛々しい彼等を見て、小さな声しか出ない…

そんな自分が情けなかったです。




私達メンバーは、6人がシック・チルドレンの子供たちのお世話、

4人が、死を待つ人の家で洗濯の奉仕です。


私は洗濯を志願しました。

理由は、子供達と関わったらその後の別れが辛いからです。

お洗濯なら、ただがむしゃらに洗濯すればいいですから…



洗濯場へ案内されました。


すごーぃ(゜〇゜;) 山のような洗濯物…


大きなゴム製のエプロンを付けてもらい、さっそく仕事に取り掛かりました。

洗濯方法はとても合理的です。

桶が5個くらい並んでいて、順番にその桶に洗いながら移します。

つまり最初の桶の水は汚れるのが早いですが、最後の桶は綺麗な水です。


最初の桶の水が汚れると、桶の水を捨てて

2番目の桶を1番目の桶にします。

5番目の桶を4番目にして、5番目用に新しい水を汲みます。

この方法ですと、かなりの水の節約が出来ます。


手洗いなんて何年ぶりだろう…


キティちゃん柄の赤や青のショートパンツを見つけました。

手作りで何十枚もありました。

きっとここに収容されているお年寄りが使うのでしょう。


キティちゃんのパンツ…なんだかカワイイ…


洗濯物は、下着やパジャマはもちろん、シーツから掛け布まであります。

この作業が毎日って、かなりの重労働です。


干す時は、ギッチリと絞りません。

水がダラダラ垂れる状態のまま干します。

考えてみると、スラムでも、スモーキーマウンテンでも洗濯物から

水がしたたり落ちていました。


暑いのですぐ乾くから、絞るのは適当にやってるのかな?

それともシワシワになるのを防ぐ為かな?


ふと、横を見ると…

神父様と天理教のおじさんも、洗濯物を干しています。


2人とも家で、洗濯などしないだろうにね…(^o^)


フィリピンでのメインイベントのはずだった奉仕活動…

たったの2時間で終ってしまいました(^-^;


イエス様


帰り道、空を見上げると大きな大きな虹が出ていました。

まるで画用紙にクレヨンで描いたようなハッキリとした虹です。


驚いたり落ち込んだり頑張ったりした私達への

神様からのプレゼントだね♪


そんな事を考えながらボォ~ッと虹を見ていたら…


『 置いていくよー!! 』


次の目的地、キアポ・マーケットへ行くために

みんなは、ジープニーに乗り込んでいました(^O^;


現地の神父様との出会い

マザーテレサの施設へ行きました。


ここには学校と、シック・チルドレンの施設死を待つ人々の家があります。



sick

シック・チルドレンの施設(孤児院)は

様々な障害を持った子供達が収容されています。
ほとんどは、親に捨てられてしまった子供達です。



水頭症に対する知識はわずかながら持っていましたが

実際に会った事はありませんでした。

この施設には、10人ほどの水頭症の子供が収容されていました。

子供たちの頭は想像以上に大きくて唖然としました。

彼等のあまりにも大きな頭に驚き、私はしばらく声も出ませんでした。


こんなに大きい頭では、重たくて歩く事は出来ない…


他の子供達も重症の子供がほとんどで排泄や食事は自分ではできません。

苦しそうな寝息をたてて寝ているか、泣いている子供ばかりです。

まわりを見渡しましたが、笑っている子供は見当たりません。



17才の少女がいました。彼女も水頭症を患っています。

他の子同様に立ち上がる事はできないので車椅子に座ったままでした。
驚いた事に、神父様と彼女が英語で会話をしているのです。

病気を抱えていても、親に捨てられ施設にいても

英語を身に付け前向きに生きようとする彼女の姿勢に感動しました。



ここで働くシスター達は疲れた顔も見せず

たえず私達に天使の微笑みを投げかけてくれます。



子供を抱き上げてみました。

その子は、ギュっとしがみついてきました。


1人だけ抱いていては、他の子が可哀想と思いベッドに置こうとしたら、

その子は私にしがみついたまま離れようとしません。

他の子は 『抱いて』 と言わんばかりに泣いています。

彼等の涙一杯の瞳を見るとどうしていいのか分からなくなります。


私の腕が何本もあればいいのに…

この子達をいっぱい抱っこしてあげられるのに…



よく見ると、顔の可愛い子が泣いています。

容姿に障害の現れている子は、ただボ~っとこちらを見つめています。


私達のような訪問者は、

無意識のうちに可愛い子を抱いてしまうのだそうです。

言われてみると、私も可愛い顔の子を抱いていました。


そのためか、可愛い子は抱かれ馴れているので

もっと抱いて!!と、しがみついてくるし

そうでない子は諦めの心で、私達を力無く見ているだけなのです。



Mother Teresa


この施設で日本人神父様に偶然お会いしました。

何十年も前からマニラに滞在しておられます。


私は初対面でしたが、名前は以前から知っていたので

偶然出会えた事に嬉しさを感じました。



私達の神父様とこの神父様の談笑が始まりました。

私は側で興味深く2人の話を聞いていました。



そのうち、ボランティアの話になると2人の会話はヒートアップしてきました。

もちろん神父様同士ですから、静かなバトルではありますが…



私達が日本から援助物資として衣類やお金、薬などを運んできた事に対して

その神父様曰く

『薬は要らない。薬を持ち込むのは犯罪ですよ。

今日死ぬのも明日死ぬのも運命だからフィリピンに薬はいらない。

自分も今日死んでも心残りはない。

衣類も要らない。

いつだったか日本から古着が送られて来たけど、

それは汚れがあったり長袖だったり、着られる物じゃなかった。

もうこれ以上フィリピンにゴミを増やさないでもらいたい』


私は心の中で叫んでいました。


薬は要らないって言うけど、もし目の前にいる人が死にそうで

自分が持っている薬を飲ませれば助かる場合

それでも、あなたは運命だからと薬を飲ませないのですか?



2人の神父様の、静かなる激論はかなりの時間続きました。



ドイツ人神父様は、現地に住んでの活動はできませんが

何十年も前から今回のような援助物資を届けたり、

フィリピンへの色々な活動は続けています。

それをいつも見ている私は、心の中で神父様の味方をしていました。



日本人神父様は、頑固親父みたいなこと言っている…

どうして私達の神父様の行動を否定するような事を言うのだろう?

長年マニラに住んでいるのなら、ご苦労さまくらい言ってくれてもいいのに…


この時、私は釈然としない気持ちでした。



その後、帰国してからもこの事は私の頭から離れませんでした。

マニラで会った神父様って随分と奢った考えの人だったなと

この時の事を思い出だしては納得のいかない気持ちになっていました。

でも、しばらくして私にもやっと理解できました。


マニラで出会った神父様が言いたかったのは

ボランティアをしにきました!!という人々がどれだけの事をして帰ったんだい?

フィリピンに古着を送った人のように、

服を送ったから自分はボランティアをしたのだと満足しないで欲しい。

相手の立場を考えたら、例え貧しい人にでもシミ付きや長袖を送るのは

ありがた迷惑であって、ただの自己満足でしかないだろう。


今回、私達がフィリピンに援助物資を届けたのは

ボランティアをしたのではなく、ただ入り口に立っただけだったのです。

(もちろんドイツ人神父様は別ですが)


そして、あの日本人神父様は私達に、

この先も、いつもフィリピンに心を寄せて

フィリピンの現状を広く世間に知らせて欲しい

と願っているのだと思いました。



ドイツ人神父様も…

フィリピンでボランティアをしましょうと私達を旅に連れて行ってくれましたが

内心は、ボランティアをするというより

日々、ストレスと疲れの中で生活する私達日本人に

心の洗濯をさせるのが本当の目的だったのだ!!と思いました。


フィリピンの人々から、また神父様から

ボランティアを受けたのは私達のほうでした。




マニラの西本神父様、いつまでもお元気で…

ブタの顔が山盛りだ!!

マニラ最後の朝…

私は相棒の彼女と、神父様と天理教のおじさんの4人で朝市へ行きました。



神父様と天理教のおじさんは、2人とも70才に手が届く年齢ですが、

今回の旅でこのお2人は、我々若者(?)に

彼等の溢れるバイタリティーを見せ付けてくれました。


神父様とおじさんは、毎朝薄暗いうちから起き出して

それぞれ単独で近辺の探索をしていました。


『そんな早い時間から歩いて怖くないですか?』


『そりゃ、怖いですよ。でもそう悟られないように背筋をピンと伸ばして歩くんです』

『オレに何かしたら、怖いぞ!!って顔でね。そうすると誰も近寄ってきませんよ』

『せっかく、フィリピンに来たんだから少しでも多くの事を吸収したいからね』


日本のお年寄り(失礼)ってすごい!!



電気


薄明るい空を見上げると、電線が目に止まりました。

何本もの電線が複雑に絡み合うように繋がっています。


この不思議な街マニラに、なんだかよく似合う…



朝市


こんなに早い時間なのに、市場は活気で満ち溢れていました。


なんでも売っています。

特に目に付いたのがブタの顔と足です。

あげくにはブタの鼻だけ並べてあったりして、ビックリしました(◎_◎)



赤身肉が見当たらなかったのですが、ここの人は皮が好きなのかな…



お菓子


私の好きなお菓子屋さんを見つけました♪


かっぱえびせんによく似たスナックを発見しました。

その名も OISHII です。

OISHII はブランド名になっているそうです。


買ってみたかったのですが、お金を持っていません(ToT)

マニラ6日目のこの時点でも両替を許されていなかったので

私達は無一文だったのです。



神父様曰く

『私達は観光に来たのではありませんからお金は必要ありません』


たしかに私達はお土産に気を取られる事もなく

マニラを隅々まで探索する事ができました。



ペンションから市場までの空き地や裏道には

大勢のホームレスの人々がいました。


広げただけのダンボールに寝ている家族もいました。

なかには、産まれて間もない赤ちゃんや裸同然の幼児もいます。



プライバシーはゼロなのに…

どうやって赤ちゃんを作ったのだろう…

相棒の影響なのか、私はそんなどうでもいい事を考えていました(*><*)



ペンションに戻った私達は、中庭でいつもより早い朝食を取りました。


『みなさん、今日は7時に出発します!!』 神父様の声が聞こえました。

『わぁ―!! あと15分しかないよ』 メンバーは慌てて部屋に戻りました。

私はボサボサの髪の毛をとかすヒマもなく、ジープニ―に乗り込みました。



間に合った~(^_^;A

あっ、あと2人来てない、でもまだ3分あるから大丈夫



神父様 『では、出発しますよ!! 』

一同   『あと2人来ますから、待ってください 』

神父様 『いいえ、彼等は後から来るでしょう!! 』


このマニラで、どうやって後から来れるのー!?


神父様 『いいから、早く車出してください!! 』

一同   『えぇ~(〇o〇;) ち、ちょっと待ってください~』


この神父様はドイツ人なのですが、

この時は、まさにジャーマンタイムなる物を見せてもらいました(^◇^)


神父様でも人間です、疲れやストレスを感じる時もあるのでしょう…

こんな人間臭い一面を見せてくれる神父様が

私は大好きです。



こんなドタバタの中、私達のマニラ最後の朝が始まりました。



マニラ湾の夕日

私達はマニラ湾から船に乗って夕日を見に行く事にしました。


マニラ湾からの夕日は

世界でも屈指の眺めと聞いていたのでとても楽しみです。


フィリピンに来てからの毎日は、

少しの時間も無駄にしないよう飛び回っていました。

そのおかげで多くの体験ができましたが、

のんびりと座っている時間は皆無だったので

ゆっくりと船に乗るのは、また違った意味でも楽しみでした。


レストラン


湾に浮かんでいたレストラン、使われていなくてもったいない…


こうやって、皆でゆっくりと歩くのも初めてのような気がする…



そんな事を考えていたのもつかの間…


『あ~、 夕日が沈むよ~!! 急げ~!!! 』



見ると、動いているのがわかるほどの速さで夕日が沈んでいきます。

私達は、慌てて船に乗り込みました。



マニラ湾2


マニラ湾に沈む夕日は、

とても大きく強烈なオレンジ色で、それでいて神秘的な太陽でした。


日本で見る夕日も同じ太陽なのにどうしてこんなに違うの…


あっと言う間に、巨大な夕日は水平線に吸い込まれていきました。



マニラ湾


遠くに高層ビルが並んでいます。

ビルの明かりや街のネオンがクリスマスイルミネーションのようです。

まるで美しい風景画のような眺めです…



あの排気ガスで咽返るような空気、ひどい交通渋滞

ついさっきまで、自分がその中にいたのが夢のようです…


ホームレスの人々の中には

こんな風景が、すぐ近くにある事を知らない人もいるのでしょうね。



それにしても私達の旅は "フィリピンでボランティア"なのに…

まだ何もしていない…(-_-;)

しいて言えば、日本から援助物資を運んだだけだ…

明日は、いよいよ奉仕のボランティアをする日…

精一杯、頑張らなければ…




ロハス通りを歩いている時…

突然街角のスピーカーからフィリピン国歌が流れてきました。

歩いていた人は立ち止まり、屋台で働いていた人は手を休め

そこにいた全ての人々が静止をして、国歌に聴き入りました。


それにしても、この時の時間が6時ジャストとかではなく

6時14分みたいな適当な時間で

静止した人々もバラバラの方向を向いているし

このあたりがいかにもフィリピンらしい…


曲が終ると『ご静聴ありがとうございます』 のアナウンスが流れ

人々は、何事も無かったかのように動き出しました。

この時、私はフィリピンの強い愛国心を感じました。

ペンションに戻って疲れた体をベッドに投げ出した時、

セブの男の子からTEXTが届きました。


"明日ホテルに迎えに行くよ。一緒にごはん食べよう"


うわぁ~♪ 明日はジョンに会えるんだ v(^-^)v

変わったかな~♪ 大人っぽくなったかな~♪


イヤイヤ…(((>_<)))

セブの事を考えるのは飛行機に乗ってからにしよう!!



明日の夜、私はメンバーより一足先にマニラを出発します。

セブの男の子ジョンに会いに行くために…



フィリピンの教会

今回の旅では、数多くの教会を訪れる事ができました。



どの教会も、美術的にも歴史的にも素晴らしい建築物です。

ゴシック様式がほとんどでしたが

そのあまりの美しさに言葉も出ないほどでした。



ただ、あまりにも多くの教会をいっぺんに見学したため

頭の中がゴチャゴチャで詳しい説明ができません(-_-;)


再び訪れるチャンスがあれば

今回は予習として、次回さらに深く勉強してこようと思います。


SanSebastianChurch.   

  SanSebastianChurch


BakulalanChurch

       BakulalanChurch



BakulalanChurchで印象的だったのは、゛絶えざる助けのマリマ様"を崇拝していることでした。

特別な祈りを捧げたい人は、祭壇のマリア像まで膝で歩きながら進みます。

長い長い通路を膝でゆっくりと進むのですから気の遠くなるような時間がかかります。



SantoDomingoChurch   

     SantoDomingoChurch



教会    

 

SanAgustinChurch.  

   SanSebastianChurchのお嫁さん



SanSebastianChurchでは、ちょうど結婚式を行っていました。

とても美しい花嫁さんでした。

聖歌隊のゴスペルのハーモニーはプロ級でした。



日本のミサは、静かな中で粛々と行われますが

フィリピンのミサは、歌って踊って、明るい雰囲気の中で行われます。

さすがはラテン系の国という印象を受けました。


休日も平日も朝も昼も関係なく、教会には多くの人々が訪れていました。

これも信仰の深さなのでしょうか…。




やはりここにも、悲しげな瞳をした物乞いの人がいました…(T_T)