フィリピン大好きo(^o^)o -27ページ目

闘鶏場は大騒ぎ

Cockfighting(闘鶏場)に行きました。


今回の旅の趣向からはかけ離れていますが

私達に別の視点からのフィリピンも見せてあげようと思った

神父様の計らいです。


私は内心、見たいと思っていませんでした。

だって、とても残酷なんです (TOT)



大勢の人々が集まっているので、すごい熱気です。

見渡した所、女性は1人もいません。


やっぱり、私達は場違いな場所に来たようです…


それにしても平日なのに、こんな大勢の人!!


仕事はどうしたの?


クックファイティング


鳥の戦いが始まりました。


互いの足に鋭い刃を付けているそうです。


『きゃぁぁぁ~~!!!』  



鳥は一瞬で死んでしまいました。

やっぱり、残酷…見たくないよ…(v_v;)



すぐに片付けられ、次々と戦いが繰り返されます。

指で掛金を提示しながら

『ワラ、ワラ、ワラ!!』 『メロ、メロ、メロ!!』

叫びならが、各自が賭けの相手を探します。

鳥の戦いはあっという間ですから、相手が見つからないうちに

勝敗がついたりして、とにかく大騒ぎです。


このエネルギー、もっと違う事に使いなよ~(-_-;)

おじさん


このおじさん、

何を思ったのか私に賭けの相手を申し込んできました。


『どうだい! いっちょうやらないかい!?』

そんな感じのニッコリ笑顔です。


そんな事したら神父様に怒られちゃうよ~(^。^;)


あきらめて他の相手を見つけたようです。

と、安心したのもつかの間…

次の対戦になったら、また私を見て

『ワラ、ワラ、ワラ!!』

と叫んでいるんです(≡≡;)



みんなどのくらいのお金を賭けているのかと気になり

まわりの人の手元を覗き込んでみました。

10ペソとか20ペソ位かなと思っていましたが

みなさん、500ペソ札を束で持っていました(◎_◎)



ここの売店に売っていたお餅みたいなお菓子(べコ餅風)

美味しかったなぁ~



観戦が終わって外に出た時、

また私の相棒が耳元でささやきました。


『ねえ、ねえ、あの死んだ鳥どうするのかな~

この闘鶏場の前で焼き鳥にして売ったらいいんじゃなぁ~い♪』


また、しょうもない事言ってるよ…(*´ο`*)=3


でも、私は彼女のこんな性格が大好きです♪


この後、マカティのアヤラ博物館に行きました。


入り口には銃を腰に携えてドーベルマンを連れたガードマンがいます。

『この犬、日本人が大好きです♪触ってもOKです♪♪』


そんな事言ったって…犬がどうやって日本人だとわかるの…?

床はスニーカーで歩くのが申し訳ないような大理石で

建物はとても近代的な造りになっています。

フィリピンの古代からの歴史をドールハウス風?に再現していて

私達にも理解しやすいものでした。

展示物も充実していたと思います。


ただ、ここでも日本が関わってしまった歴史がとてもリアルに再現されていました。

やはり胸が痛みました。



入館料は800ペソです。

フィリピンの1日の賃金が200~300ペソと聞いていたので

それと比較すると、とんでもなく高い入館料です。

現地の人を対象にはしていないのでしょうか?

私達の他には、お客さんが誰もいなくて勿体無いと思いました。



アメリカ人墓地の無縁仏

5日目はAmericanCemetery(アメリカ人墓地)へ行きました。



まるでそこは、いつか観た映画、プライベートライアンのようです。

整備された広大な土地に白い十字架が整然と並んでいます。



高層ビルを背景にズラリと立ち並んでいる十字架。

美しい景色ではありますが、私はなんとなく違和感を覚えました。


ここも同じマニラなの…?



アメリカ人墓地  


アメリカ人墓地2


それにしても、すごい数の十字架です。

すべて、フィリピン侵略戦争の犠牲兵士の墓だそうです。

十字架の他にも、びっしりと名前の刻まれた墓誌もありました。


いったい死者の数は何万人だろう…

それにしても戦争はむごい…

これだけの数の兵士の命が終ってしまったのだから…

それ以上に、ここフィリピンでも多くの人が犠牲になっている…



本当に、戦争ほど無意味で残酷なものは無いと思いました。


見渡して見ると、ただの広い墓地ですが

それぞれのお墓に、それぞれの人生を送った人が眠っているのです。

私は、お墓の名前を1人1人丁寧に読みながら歩きました。

言葉に出来ない想いをこめながら…


アメリカ人墓地1


この十字架には“KNOWN BUT TO GOD”と書いてあります。


この十字架もたくさんありました。

神さまが知っている名前 日本での無縁仏でしょうね。

無縁仏はあまりにも寂しく孤独な感じがします。

それに比べ、神様が知っている名前は心が安まる感じがしました。


人はみんな神様の子供ですものね…

豪華絢爛中国人墓地

中国人墓地を訪れました。



Cemetery


これがお墓なの!? 


お墓と言うよりは、立派な建築物といった感じでしょうか。

どのお墓も、夫婦2人だけで入るようです。

室内には故人の肖像画(とても大きい)と石棺があります。

日本のように先祖代々が1つのお墓の入る風習は無いようです。


お墓は生前から準備しているようです。

石棺には名前が彫ってあるのですが、

まだ亡くなっていない人の棺は赤い文字が彫ってありました。

それにしても、中国系の人々の財力は凄いですね。


ここ中国人墓地にも、ホームレスの人がいました。

高級な墓地にいるのは数頭の野良犬とホームレスだけです。

豪華なお墓の塀に洗濯物が干してあります。

鍋や茶碗も置いてありました。

なんだか、ミスマッチな光景だな…


でも、街中の騒然とした場所よりは、ここに住む方が居心地が良さそうです。

グッドアイデアですね


ただ、不思議に思ったのは

墓地の入り口ではガードマンが警備をしていたのに

ホームレスが住みつくのはOKなのでしょうか?

隣接している一般の墓地にも行きました。


墓地1


マンションのように積み重なっています。

半数ほどは入り口が壊れていて朽ち果てた感じです。

遺体を別の場所に移したのか、荒らされたのかわかりませんが

見ているとなんだか物悲しい気持ちになりました。



神父様の説明では

お墓に葬ってもらえない場合もあるそうで…

以前、ここに来た時は野ざらしの遺体があったそうです。

こうして、私達のマニラの4日目が終りました。

StreetChildren

ストリートチルドレンを収容している施設を訪問しました。



ここに収容されるまで住む家も無く家族もいない

孤独な環境で生きてきた子供ですから

きっと、ここの子供達は暗い顔をしているんだろうな

そんな想像をしながら玄関に入りました。



ビックリです!!

皆、とっても明るい子供達でした。

人なつっこい笑顔で寄ってきます。

『写真、写して~』 とピースサインをしてきます。


部屋の中を見せてもらいました。

1部屋に 2段ベッドが8人分、きれいに整頓されています。


同じ境遇の子供達が集まっているので

お互いの気持ちも通じ合って落ち着くのではないでしょうか。

スタッフも優しい人達なので子供達の居心地は良さそうに思いました。


でも、プライバシーは無いのかな…


ストリートチルドレン


ジャッピーノ (日本人として心が痛む言葉です)

単にフィリピンと日本のハーフを表す言葉らしいですが

幸せな親子関係を築いている子供には使わない言葉だと思います。

実際使われる意味には、悲痛なイメージを含んだ言葉に感じます。

語弊があったらごめんなさい

日本にタレントで来日し、その後妊娠してしまったり

日本企業の社員がフィリピンへ赴任して現地の女性と付き合い

その後、帰国して音信不通になる。

もちろん幸せに家族関係を築いている人もいますが

そうでない人達の最悪のケースが

このようなストリートチルドレンになるそうです。



ここの施設にも、そうかなと思う容姿の子供がいました。

神父様の説明では、現在6千人のジャッピーノがいるそうです。


ほかに青い目の子供もいました(彼の父は欧米?)

同じ神さまの子供です、皆が平等に幸せになって欲しい…

そう願わずにはいられませんでした。



何人かの子供達が小学校へ行くため車に乗り込んでいます。


『いってらっしゃ~い!!  勉強頑張って~』

私達は施設のテラスから手を振って見送りました。




UST


この後、UST(サント・トーマス大学)に行きました。


フィリピン最古の大学というだけあって

その歴史を感じる建物に圧倒されました。



しかし、ここで私は疲れがピークに達してしまい

説明が殆ど頭に入りませんでした(T-T)

なので、USTの歴史などの詳細は今後の課題です。


ただ、頭に残っているのが

USTのメインホールの階段の踊り場で

『日本が戦争に負けた時、山下大将が責任を取って首吊り自殺をした』

この説明だけが記憶に残りました。




ここでも日本人はやらかしたんだ!! かんべんしてよ…

わざわざ、よその国へ来てまでそんな汚点残さないでよ…


この有名な大学の、この柱に

日本人がそんな変な歴史を刻んだなんて!!


自殺するにはそれなりの理由はあったのでしょうが、

なんとなく、日本人として申し訳ない…

そんな気持ちになってしまいました。


小学校

4日目の朝、パライソの教会に

それぞれのメンバーがホームスティ先から集まってきました。

みんなで無事の再会を喜び合いました。


昨日、不安げにそれぞれの場所に散ったメンバー達でしたが

再会した皆の顔は、誰もが晴れ晴れとしていました。


お互いに 『昨日の別れ際の貴方の顔ったら~』と笑い合いました。

それほど昨日と今日では、顔つきが別人のようだったのです。

それぞれに不思議体験やビックリ体験はしていましたが

私同様、みんなも言葉で表現できないような何かを掴んだようです。



ホームスティの感動が覚めないまま…

近くのElementarySchool(公立小学校)を訪問しました。


1つの教室に60人近い生徒がいました。

ぎゅうぎゅう詰めという表現がピッタリです。

私達が入って行くのも困難なほど詰め込まれています。

その上、エアコンが無いのでかなりの蒸し暑さです。

教科書はワラ半紙なので、ヨレヨレした感じです。


マニラでは、生徒の数に比べ学校の数が少ない為

午前と午後の2部制で授業をするそうです。

午前の部が低学年、午後が高学年です。


あっ、それでホームスティ宅の大きい子は

午後から学校へ行くって言ってたんだ!!


小学校



私達が各教室を回ると生徒達が歌を歌ってくれました。


何組目かのクラスに入ると

『も~しもし、あのね、あのね、あのね~♪』


あっ この歌だ!! キアポを歩いていたら声をかけてくれた言葉。

この歌だったんだ(^o^)


後で知ったのですが、フィリピンで大ブレイク中の

“やっちゃん”という日本人タレントの歌でした。


それで、日本人とわかると『もしもし』『あのね~』だったのですね


小学校


どの教室を覗いても子供達は真剣に勉強しています。

あきらかに日本の子供達とは真剣さが違います。

立って歩く子、おしゃべりする子、よそ見をする子、皆無です。

もちろんイジメや不登校も無いそうです。


素晴らしい!! 日本の子供達にも見習って欲しいな…


フィリピンは国がボーイスカウト運動を推奨しているそうです。

この学校でも、スカウトルームを見つけました。

私達もスカウトに携わっているので

『仲間がここにもいた♪』そんな嬉しい気持ちになりました。

ここの先生は、なぜか女性の先生しかいません。

皆、お揃いのピンクの制服(パンツスーツ)を着ていました。

校長先生もピンクの服こそ着ていませんが、やはり女性でした。

相棒の彼女が、私の耳元でささやきました。


『ねぇねぇ、この学校に男の先生がいたら、やっぱりピンクの服を着るのかな~』


しょーもない事、考えてんじゃないよ (*´ο`*)=3


さよなら…ホストファミリー

目が覚めました。

隣を見ると、彼女はすでに起きていました。

と言っても狭いので布団の上で正座をしています。


ヒマなので、2人で近所を散策しよう♪と意見がまとまりました。

ところが、部屋のドアがびくともしないのです。

すき間から覗いてみるとドアの前にびっしりと人が寝ていました。


あんなに大勢の家族だもの、通路にも寝るしかないよな…

私達には特別の場所を用意してくれたんだな…




部屋から出られない私達は、おしゃべりを始めました。


彼女 『目が覚めて退屈だったから歯磨きしたんだ』

私   『えっ!!布団の上で?』


彼女 『そうだよ』

私  『口をすすぐのはどうしたの?お水無いでしょ?』


彼女 『ミネラルウォーター持ってたから…』

私  『・・・・・すすいだ水はどうしたの?』


彼女 『・・・・・飲んじゃった(^o^)・・・』


この彼女、ただ者ではありません(゚∀゚;)





私  『なんだか、ここの家って朝なのに暗いね』

彼女 『ホントだ、電気が付いてるのに暗い』


そう言えば、この家はどこにも窓がありません…



ホームスティ1

壁の向こうで誰かが起きたようです。

私は、またまたすき間から覗いてみました。

ママのお姉さんが、タバコをバラバラにして箱に入れていました。

(タバコのばら売りの仕事をしているんですね)



茶の間では、ママが床拭きをしていました。

ママはとても綺麗好きです、昨夜も床拭きをしていました。

部屋には綺麗にアイロンされた服が吊るしてあるし

子供達も、みんな清潔な服を着ていました。


小学校へ行く子供達が、“行ってきます”のKissをしてくれます。

可愛い!!!



テレビの上に青年の写真が飾ってありました。

『このハンサムな男の子はママの息子ですか?』


ママは、ちょっぴり寂しそうに答えました。

『そうよ、でも3年前に銃で撃たれて亡くなったの』


私達はそれ以上聞く事ができませんでした。


こんな一般の家庭でも銃の被害に遭っちゃうんだ…




長女にたずねました。

『貴方の将来の夢は何?』


彼女はニッコリ笑いながら答えました。

『私、看護士になりたいの』


あなたなら素晴らしい看護士になれるよ…




スラム街という言葉から私がイメージしていたのは

汚さ貧しさ、それに伴う暗さでしたが、その認識は間違っていました。

たまたまスラムエリアのボロボロの家に住んでいるだけで

彼等にとっては、どうってことない事なのだと感じました。

(貧乏が恥ずかしければホームスティを受け入れないでしょう)

家族の絆と愛情は、貧富の差とは関係ない事、

むしろ裕福な人以上に家族愛を感じる事ができるのかもしれません。


ママは家族の為に、朝から晩まで家事をこなし

パパは寂しいのを我慢して海外へ出稼ぎに行き

子供達は小さい子の面倒を見て仲良く生活し


人として、家族としてあたり前の事ですが

なぜか忘れかけていたような気がします。

ここでホームスティさせていただき改めて認識する事ができました。

ここには私達日本人が見習うことが山のようにありました。


ホームスティ2


またいつか、この素晴らしい家族に会えますように…


私はそんな事を願いながら、

ここパライソの心温まる家を後にしました。

ドキドキ!!ホームスティ 

この日の午後から、ホームスティを体験しました。


受け入れ先はスラムエリアの貧しいお宅です。


私達10人のメンバーは2人1組になり

緊張の中、それぞれの受け入れ先へと向かいました。



私は例のヤモリの彼女と一緒です。

迎えに来てくれたママと、かなり長い道のりを歩きました。

メンバーと離れての行動は、これが始めてだったのでとても不安でした。



門らしき場所に到着したので、やっと着いたと思いきや

ママはさらにその奥へ進んでいきます。


私達は黙ってついていきました。

この迷宮のラビリンスから私は1人では出られないだろうな…

方向音痴の私はそんな事を考えていました。



でこぼこした巾1mほどの通路を右に曲がったり

左に曲がったり、下ったり登ったり…

その通路のいたるところで人々が洗濯をしたり

タバコを吸ったりしています。

驚いた事に、サリサリショップがありました。


皆、私達の顔を見て不思議そうな顔をしています。

なぜここに日本人が?といった雰囲気です。


古びたドアを開けると、いきなり階段があり

階段の途中、左右にドアがありました。

※踊り場ではなく、あくまでも階段の途中です。

※ドアと言うより、戸板といった感じです。



やっと到着しました。

今夜、私達がお世話になるお宅のドアは右側でした。



『Please!』 『Hello!!』



いました、いました (^o^)(^-^)(^.^)(^O^)(^〇^)

キラキラお目々の10人ほどの3才から17才の子供達。

そしてママのお姉さんと妹さん。

さっきまでの不安な気持ちは吹っ飛びました。


ホームスティ2


『オーチョ オーチョ踊ってくれる?』 

『OK!!』

みんなで可愛いダンスを披露してくれました。


可愛い~ こんな小さな子なのにセクシーな腰つきだよ\(^o^)/

私も教えてもらい、一緒に踊りましたが…


相棒の彼女の一言

『アンタの踊り、なんか違うんだよねー特に腰の振り方が』 (▼∀▼)

『へへへ~』 (^-^;



このお宅は、ママのお姉さん家族と妹さん家族も一緒に住んでいます。

子供はいつのまにか20人位に増えていました。

誰が誰の子供かわかりません。

パパは中東に出稼ぎに行っているそうです。


1番小さい子が床の小さな穴を覗いています。

私達にも覗けと言うので、見てみました。


階下のお宅が、丸見えでした\(〇_o)/

スゴイ、プライバシーが全く無いよ…




夕食を頂きました、ご飯とフライドチキンです。

丼のような器にチキンが5.6個入っていたのですが

こんなに大勢いるんだから、私の分は一個だろうな…


チキンを一個だけ頂いて、

あとは、ご飯にバナナケチャップをかけて食べました。


ピッチャーに入ったお水を勧められたのですが

下痢が心配で飲めませんでした(T_T)

ママ、ごめんなさい…




次は最大の難関、トイレです。

共同トイレ&シャワーなので、家から離れた場所にありました。


シャワーはドラム缶に水が溜めてあります。

鍵が壊れていてドアは半開きです。


トイレでは噂のタボ(手桶)を使わなければなりません。

便器には便座がありません。


どうやってするの? このまま乗っかるの?

それとも中腰かな? ハァ~上手く出来るだろうか・・・




座るわけにはいかないので中腰で頑張ろうと思った瞬間

目の前を 胴体だけで30cmはありそうなネズミが横切りました。

大きいので動きが遅くて、

穴にネズミのシッポが収まるまでしばらく時間がかかりました。



『きゃあぁぁぁ~~~~!!』


Gパンも上げずにトイレから飛び出しました。

隣のシャワー場からは

全裸の女性が私の叫び声に驚いて出てきました。


オールヌードの女と、Gパン下げたまんまの女(*><*)

私   『あ・あ・あ・あいむ・そ~り~。えくす・きゅ~ずみ~』

彼女 『ぎゃはははは♪』 


この事は誰にも(相棒にも)言えないなぁ…(-_-;)



テレビを観ました(白黒テレビで時々音が消えちゃう)

タガログ語の番組なので内容はよく解らないけど

学園ドラマといった感じの内容です(でも、いきなりソンビーが出てきた)



突然、目の前を誰かが横切りました。

見上げる私に、ママの妹がウィンクして出かけて行きました。

シャワーに行ったのです。

しかも、オールヌードにバスタオルを巻いただけの軽装?でした。

これがフィリピンスタイルなのぉ~(∋。∋)




就寝時間になりました…

家の作りは10畳ほどのLDKと、階段を上がった2部屋でしょうか。

私達には部屋の中央をベニヤ板で囲った小さな部屋を準備してくれていました。

この家の広さで20数名がどうやって寝るのだろう…?



実は、着替えを持ってきていません。

私達は荷物をペンションに置いてきてしまいました。

スラム街の家(きっと汚い)だから着替えずそのまま寝ちゃえ!!

と思っていたのです。


しかし、この考えは大きな間違いでした。

私達の寝床はパリパリにアイロンをかけた清潔なシーツと布団だったのです。

しかも枕カバーには "福幸”と刺繍がしてありました。


ママ、またまたごめんなさい…(ToT)


ホームスティ1


私は布団に入ってからも緊張しているのか疲れすぎているのか

なんだか眠れずに天井を見つめていました。

天井(屋根)は、トタン1枚のみです。



雨漏りするだろうな…

昼間は熱がまともに入ってサウナになるだろうな…

火事になったら、私は逃げ遅れちゃうだろうな…

地震が起きたら潰れちゃうだろうな…


こんな事ばかり考えて眠れずにいる私の横で

フィリピン馴れした相棒は

“すぅ~すぅ~”と軽やかな寝息を立てていました。



ブラックナザレのイエス様

イスラム寺院のつぎは、キアポ教会です。



朝ペンションを出発する時、それぞれのメンバーは神父様から

100ペソとペンションの住所を書いた紙を渡されました。


『もし迷子になったらそれでペンションに帰ってきてください』

『荷物は全てペンションに置いていってください、お財布もカメラもです』


この神父様の話に、私達は不安になりました。

今日の訪問先ってそんなに危ないの…(=_=;)



キアポ教会には顔の黒いイエス様が祭られています。

ちょうどこの日はブラックナザレのお祭りの日でした。

聖堂まで続く道の両側には出店が建ち並び

Tシャツやイエス様に捧げるカラフルなロウソクが売られています。


ロウソクは赤、白、黄、青、ピンク色々な色があります。

それぞれの色に金運、愛情運、健康運などの意味があるそうです。

黒のロウソクもありますが、それは呪いをかけるための物だそうです。

陽気なフィリピン人でも誰かを呪う事ってあるんだ…



聖堂までの道は、もの凄い人ごみでした。

通勤電車の混雑の比ではありません。

私達は自分の意思で歩くと言うより

流れのままに聖堂まで連れていかれていると言った感じでした。


人と人に挟まっている(潰されている)ので

このまま両足を浮かせても移動できるかも♪


それくらい、窮屈でした。

神父様が『カバンなどはペンションに置いてください!』と言ったのは

このためだったんだ…


聖堂に辿り着いた時には、人の多さで酸欠になり倒れる寸前でした。



ブラックナザレ


キアポマーケットの通りではイエス様の山車が練り歩きます。

人々は赤いハンカチを山車に投げ込みイエス様を拭いてもらいます。

(そのハンカチにはご利益があるそうです)

もちろん私も、ハンカチを投げました。


黄色のポケモンのハンカチでしたが…(^O^;



歩いている私達の頭に、キャンディが降ってきます。

それも拾って食べるとご利益があるそうです。



街の人々は私達が日本人と解ると

『もし、も~し』 『あのね~』

と言ってきます。


どうして、『こんにちは』って言わないのかな~?



キアポ


スリリングでエキサイティングなキアポ地区

もっと探索したくなったのは私だけでしょうか。


それにしても、この熱狂的なお祭りを見て

フィリピンの信仰の深さをあらためて知りました。




この2日後…

ペンションでマニラ新聞を読んだ私達は

ショッキングな記事を見つけました。


ブラックナザレ祭に爆弾テロ予告あり!!   (◎_◎)

当日は私服警官数百人が警備していた!! (☆_☆)


知らぬが仏とはこの事でしょうか…

イスラムエリア

マニラ3日目は、いよいよホームスティinスラムエリアです。


私を含めメンバーの殆どが朝からソワソワしています。

なぜなら、今まではベテランの神父様もドライバーもガイドもいるので

メンバーからはぐれないように注意しているだけで良かったのですが

ホームスティは2人1組で、それぞれの家に放り出されるわけですから

すごい不安で緊張しないわけがありません。

今までは、ガードマンのいるペンションで安心して眠る事ができましたが

今夜はそうではありません。


ホールドアップに遭ったらどうしよう (>_<)

近所で銃撃戦が起きたりして…  \(;・_・)/

もしかすると皆に会えるのはこれが最後だったりして… (TOT)


フィリピンを まだまだ理解していなかった私達は

次々と過激な想像を思い巡らせていました。



ホームスティは夕方からなので

その前に、イスラム寺院とキアポ教会を訪問しました。



イスラム寺院は、キアポ地区の中でも独特の雰囲気を持つ場所でした。

高い塀で囲われマシンガンを持った兵隊がガードしています。

エリア内は黒い布で顔を覆った女性、銃を持った兵隊…

フィリピンの人々は陽気で明るい笑顔という印象を持っていたのですが

ここの人はちょっと違う雰囲気でした。

イスラム教の責任者と対話をする機会がありました。


イスラム原理主義、イスラム過激派など

かなり新聞を騒がせている宗教なので私は興味深々でした。


『家族を養う能力があれば奥さんは4人までOKです』


男女の人口比率は1:1なのに4人の奥さんって事は

他の3人の男性はお嫁さんがもらえないの?



イスラム聖戦については、致し方ないという感じの返答でした。

やっぱり、ちょっと違うと思うよ…

そう反論したかった私です。


本当のイスラム教の教えはわかりませんが

このような思想の宗教もあるのだなと勉強になっただけでした。



祈りの場所は男性用がとても広く、

それに比べ女性用はかなり狭いスペースでした。

これって女性蔑視?


すれ違う女性は目を伏せ、男性に笑顔はあまり無く

ここがレディーファーストの国フィリピンなの?


なんとなく場違いな場所に来たような気持ちになりました。


Islamic area


でも、子供達はここでも元気です。


モスク


キアポ地区は、歩道橋の階段にまで物乞いや物売りがいます。



その中に腕や足の無い子が何人かいました。

さすがに笑顔はありません。皆疲れた表情をしています。

足の膝が反対に折れ曲がって癒着している女の子がいました。


これは生まれつきではないな…

一体どんな事故にあったのかな…


私はこの時、そんな事を考えていましたが

わざと子供を障害者にしてお金を稼がせる親もいる

と言う現実を後で知りました。


そんな目に遭わされてまで親の為にお金を稼ぐなんて…



ジープニ―に乗っている時、赤ちゃんを抱いた女の子が

『お金ください!』 と飛び出してきました。


まだ子供なのに赤ちゃん産んだの?

こんなスモッグの中、赤ちゃん抱いて走り回ったらダメだよ…


他人から赤ちゃんを借りて、同情を集めてお金を貰う人もいるそうです。



いったい、この国ってどうなっているんだろう…

わからない…

私にはまだまだ理解できません…

イントラムロス

次に、イントラムロスへ行きました。


ここは16世紀に作られた城壁に囲まれた町です。


スゴイ、過去へ戻ったような気分…


なんとなく、天空の城ラピュタを思い出してしまいました。



当時、フィリピンはスペインの占領下にあり

ここはスペイン人とその混血だけが居住を許されていたそうです。

もともとは海賊を防ぐ為のもので、それをスペイン人が城塞化し

その後のアメリカ統治時代、日本軍占領時代にも使用されていました。

今も地下牢、水牢跡などが残っていまが、

悲しい事に多くのフィリピン人が殺害されたそうです。



あちらこちらに、鉄砲を担ぎ足にゲートルを巻いた兵隊の銅像があります。

その銅像は、とても怖い顔に見えます。


日本兵の銅像なのかな?そうだったら嫌だな…


60年経った今になっても、

日本軍が残酷な行いをした証拠が残っているのが嫌だったのです。


思いきって近くにいたフィリピン人にたずねてみました。


『これは日本人の兵隊ですか?』

『いいえ、スペイン人ですよ』


良かった!! 日本兵の像じゃなかった…


でも、良かったと喜ぶ事でもないんですよね。

フィリピンが悲惨な目にあった歴史は消えないのですから。



サンチャゴ要塞では

独立運動の英雄ホセ・リサールが処刑前まで監禁されていました。

今も、処刑場まで続くホセ・リサールの足跡が残っています。

私達は、その足跡をたどって歩いたのですが

悲しい気持ちになりました(T-T)


恋人とされる日本人女性おせいさんの肖像画も見学できます。

高山右近やおせいさん、

昔から日本とフィリピンはつながっていたのだと思うと

フィリピンが大好きな私としては、嬉しかったです。



ほかにもマニラ大聖堂、サンオーガスチン教会などがあり

歴史の重みを感じる事ができました。



『ちょうど今、教会で結婚式をやっていて

もうすぐお嫁さんが出てくるらしいよ』

そんな話を聞いた私はカメラを持って待ち構えました。



アレレ…随分、年を取ったカップルだよ~(・o・?


GoldenWedding2


出てきたのは私の両親と同年代のおじいさんとおばあさん。

見るからにお金持ちといった雰囲気の二人でした。



フィリピンのお金持ちは結婚記念日にも結婚式?をするそうです。

おばあさん(お嫁さん?)は、ちゃんとブーケを持って、介添人もいて

出口では大勢の友人や親戚らしき人々に祝福されていました。


GoldenWedding1

   お迎えの車もゴージャスでした



この華やかな人々のすぐそばには、物乞いのおばあさんがいました。

物乞いのおばあさんの暗く悲しげな瞳と

幸せそうな老カップルの輝く笑顔があまりにも対照的でした。


こんなにも差がありすぎるのは不公平すぎるよ…




マニラ2日目は…

フィリピンの頂点と底辺を同時に垣間見てしまった一日でした。


この夜も、私はなかなか眠りにつけず

いつまでも部屋の白い天井を見つめていました。