従軍慰安婦
エーソンママに、ミョンドン大聖堂へ連れて行ってもらいました。
5年前に訪れた時、じっくり見て歩く時間が無かったので
今回は、そのリベンジです。
聖堂は5年前と同じ空気で私を迎えてくれました。
外に出ると、なにかの署名活動をしていました。
『 なんの署名活動ですか?』
『 ・・・・・従軍慰安婦問題の署名なんですよ 』
『 今、アベシンゾー!!と聞こえたような気がするのですが?』
『 最近、日本の総理が慰安婦問題は解決済みと発言したようです』
私はストレートな性格なので
日韓問題のような話も、ズケズケと尋ねてしまうのですが
そんな時、奥ゆかしい性格のエーソンママは
遠慮がちに答えてくれます。
この問題はすでに解決済みとの認識をもっている日本では
ほとんど話題にもならないので
当時の慰安婦がその後どんな生活を送っているのか?
などの詳しい話は、私は全くと言っていいほど知りませんでした。
ママの説明によると慰安婦になった女性は
結婚することもできず、慰安婦だけを集めた村などで
ひっそりと人生を送っているのだそうです。
政府からの支援だけでは貧しい暮らしを余儀なくされているので
こうやって市民が募金活動をして助けているのだそうです。
署名のテーブルの横には
顔に深い皺が刻まれたお婆ちゃんの写真が飾ってありました。
その写真を見ていると、決して終わった話ではないと思い
せめて募金だけでもとポケットのお金を握りしめました。
見ていると…
このような問題には無関心になりがちな若者でも
大勢の人が足を止めて署名していました。
日本に帰ってから、この話を年配の人に話したところ…
『 日本人も満州などで、同じ事をされたんだよ。
ひどい目にあっているのは韓国人だけじゃないんだ。
日本はどこからも補償してもらっていないんだよ 』
私は、この話に納得ができませんでした。
たしかに日本人も満州から引き揚げてくる時は
地獄にいるような、辛く悲しい体験をしたと聞きました。
でも満州と韓国は同じ国ではないのです。
この件は日本と韓国の問題なのですから
満州とごちゃ混ぜにすることなく
韓国が納得するまで、キチンと話し合うべきだと思いました。
そして私は…
5年前に行ったタプコル公園での出来事を思い出しました。
そこには、真赤なチョッキを着たお爺ちゃんが大勢いました。
何をするでもなく、ただ集まっている感じでした。
その時、私達はボーイスカウトの制服を着ていました。
しかも胸には日の丸を縫い付けていた人もいました。
『 アンタ達、日本人かい?』
『 そうです 』
その途端、お爺ちゃん達は私達に冷たい視線を向け
その後、話しかけても返事をしてくれませんでした。
戦争時代、日本は韓国に随分な仕業をしたんだろうな…
当時、私はこのように感じました。