フィリピン大好きo(^o^)o
ようこそいらっしゃいました!憧れのフィリピンを訪問した時の体験や感動と、フィリピンの人々との交流をボチボチと書き込んでいます。このBlogを読んでくださった方にもフィリピンに興味を持っていただけたら嬉しいです。 まだまだフィリピン初心者です。間違った記載があったら優しく指摘してくださいね。
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

再びエセル宅にお泊り その1

先日、用事を済ませた帰りに息子 のアパートに突撃しました♪

『 アレ~、お母さんまた来たのあせる

 泊まってもいいけど、僕はこれから友達と遊びに行くから

 何時に帰るかわからないよ 』

と、見事にフラレてしまいました(ノ_・。)

何時に帰るか分からない息子を待つのも淋しいので

エセルの顔を見てから、我が家に帰る事にしました(°∀°)b

エセルのアパートに着いたのは夜の8時を回っていました。

チャイムを鳴らすと、飛び出してきてハグしてきたエセルの姿は…

ランニングにトランクス一丁 ヽ((◎д◎ ))ゝ


ご主人のアランもトランクス姿でしたが…

エセルのトランクス姿は、いくらなんでも…(・・;)


私は思い切って訊ねてみました。


『 そのトランクスって、フィリピン・スタイルなの(`・ω・´)?』

『 アハハ、暑いからアランのパンツ借りたの♪

mahal もはく?アランのトランクス持ってこようか?o(^▽^)o 』


『 いぇ… ノーサンキューです(;^_^A 』

『 遠慮しないで、とても涼しいよ~v(^-^)v 』


この後、エセル達の泊まっていって!!攻撃にあい

息子のところに泊まるため、お泊りセットを持っていた私は

エセル家族の8畳ワンルームに泊まる事になりました。


久しぶりに会ったボンとガブリエルは

ちょっぴり大人っぽくなっていました。


友人の死

数日前のことです。

なにげなくTVを観ていると、あるニュースが流れました。


37才の息子が母親をダンベルで殴り殺した!!

数時間後に近隣の町で息子の身柄確保!!


このニュースが流れた時も

またか・・・日本も終わったな・・・ガーン

そんな気持ちで聞き流していました。

残念ながら今の日本では、

毎日のように起きる尊属殺人の事件です。


その日の夜

介護の学校 のクラスメート達からメールが届きました。


殺されたお母さんは、介護学校のクラスメートだったのです。

みんなとても仲良しで、卒業してからも

数ヶ月に一度はクラス会をやっていました。

事件のあった、数日前にもクラス会を開き

元気な彼女の笑顔を見たばかりでした。


とても理解できる話ではなかったのですが

何度も流れるニュースをみて

彼女の写真が映し出された時、現実の事なのだと諦めました。


最年長の彼女でしたが

クラス会には遠路はるばる、必ず出席してくれました。

いつも笑顔の彼女はムードメーカー的存在でした。

誰からも好かれる人でした。


納得のいかないクラスメートの死を、神父さまに話しました。


『 精神病院に入院している人は、

 本人の意思で病気になったわけではありません.

その人の家族は、それでも大切な家族だと愛しています。

 だから、私達も精神病の彼等を差別してはいけません 』


神父様はこんな話をしてくれました。

しかし、私は神父様の話を理解するどころか

内心腹が立ちました。


じゃあ、殺されてしまった人の未来は?

残された人達の心は?




この夜、ダンナさんに飲みに誘われました。

普段の私なら、飲み歩く事は嫌いなので断っていましたが

この日ばかりは、誘いに乗りました。

きっと、ウサ晴らしをしようと思う心が働いたのだと思います。


案の定、酔っ払いになった私はダンナさんに絡みました。



亡くなった友人がどんなに素晴らしい人だったかという事。


最後のクラス会で、彼女が息子の事をこぼした時

もっと真剣に考えてあげれば

こんな結果にはならなかったのではという後悔の気持ち。


神父様の話に納得がいかない事。


くどくどと、しつこくしつこく、ダンナさんに喋りまくりました。

だまって私の話を聞いてくれたダンナさんが

最後に、ひとこと言いました。


『 じゃあ、オマエが息子に殺されたらどう思う? 』


『 ・・・・・きっと他の人でなくて、私で良かったと思う・・・・・ 』


『 やっぱり、そうだろう。オマエの友達もそう思っているよ 』



私は涙が止まりませんでした。

酔ったせいもあるかもしれませんが

この時、神父様の心もやっと理解できたのです。


亡くなった友人も、きっと

いつもの、あの満面の笑顔で天国へ旅立って行ったと思います。

光るコンドーム(◎_◎)

先日、長男 のアパートに突撃しました音譜


到着した時間は息子の登校時間だったため殆どすれ違いでしたが

彼の元気な顔を見られただけで満足でした。


室内があまりに散らかっていたので見過ごすわけにはいかず

息子の許可を貰い掃除をしてから帰る事にしました。



その時・・・

次男 に続きまたもやコンドーム発見目



光る

今度のは、どうやら暗闇で光るらしい・・・。

誰かに見せたくなって、思わず持って帰ってきてしまいましたあせる

(誰かと言っても、見ず知らずの人ではなくお友達ですよ)



さっそく、遊びに来た友人に見せました。


『 見てみて~♪暗闇で光っちゃうコンドームだぞ~にひひ

『 息子のコンドーム盗む母親なんて聞いたことないわ

 mahalちゃんは、前代未聞のお母さんだねにひひ


なんて、友達に呆れられてしまいましたが・・・



今日彼女から届いたメールは


光るコンドームが頭から離れない私ショック!
○○君の装着してる姿はスターウォーズのライトセーバーのように

ブンブンなってるんだろうかにひひ
夜中の訪問、ドアを開けたら暗やみの中で光るライトセーバーグッド!
なんてバカな事ばかり想像してる私でした叫び


息子のコンドームを持ち帰る私も私ですが

そこまで想像力をめぐらせる友人も友人でしょう得意げ


縁とは不思議なもの

先日、お世話をしているおばあちゃんの体調が悪くなり

病院への受診になりました。

私は、気をもみながらおばあちゃんの帰りを待っていました。


しばらくすると、車椅子を囲んだ御一行が帰ってきたので

おばあちゃんだと思い走って迎えに行きました。


『 ○○さ~ん、お帰りなさ~い音譜


ところが、帰ってきた言葉は


『 あらっ、mahalちゃんじゃないの? 』

『 ホントだ、mahalちゃんだ!!』


『 れれれ・・・間違ったあせる



私は20数年前、バツイチになった経験があります。

離婚原因はダンナの浮気でした。

私との結婚と同時進行で、他に女性を囲っていたのです。


ありえない事ですが、その事実を姑と舅も知っていました叫び

マザコンと親バカの彼等にとっては、

普通の事だったようです。


そんな時、打ちのめされた私を慰めてくれたのが

この車椅子御一行の、姑の妹家族でした。

離婚後も、何かと心配していただきました。


私の再婚と同時に縁遠くなったのですが

時折、思い出しては懐かしく思っていました。


車椅子に乗っていたのが、姑の妹さん。

当時は、とても元気なおばさんだったのですが

数年前に脳梗塞になり、手足がマヒしてしまったのだそうです。

この時は、家族総出で入所する為の見学に来たのだそうです。

おかげで仲良しだった、元ダンナの従兄妹にも会う事ができましたニコニコ


しかも、たくさんのユニットがあるのに

私の勤務するユニットに入所です。




『 あんな舅と姑には、いつかmahalちゃんが介護する時がきたら

 お尻にナンバンを突っ込んでやるといいさ 』


これが、おばさんが私を慰めるクチグセでした。

おばさんは、このクチグセを覚えていました。


『 あんな事言ってたけど

 まさか私がmahalちゃんに介護してもらうとはね… 』


もちろん、ナンバンは突っ込みません。


心を込めてお世話させていただこうと思いますラブラブ


元気の出る言葉!!

施設のおばあちゃんの話です。


毎朝、食事を済ませて居室に戻る時

隣のテーブルに座る人に

『 ○○さん、今日も元気に頑張りましょうね 』

と声をかけるおばあちゃんがいます。


夕食を済ませて、居室に戻る時も

『 ○○さん、明日も元気に会いましょうね、おやすみなさい 』

と声をかけます。


他人を励ますほど、この方が並外れて元気なわけではありません。

ヨロヨロとした足取りで、やっと居室に戻っていかれるかんじです。



私たちスタッフにも、出勤していって顔を合わせれば

『 今日も一日よろしくお願いしますね 』


勤務を終えて帰る時も

『 今日も一日ありがとう、明日も宜しくお願いしますね 』


必ず声をかけてくれますニコニコ



このおばあちゃんの言葉で

私はいつも元気が出て、疲れも吹っ飛びます。




ある日、あばあちゃんの言葉で癒されている事を話しました。

すると、帰ってきた返事は・・・


『 mahalさん!! 私はあなたのマネをしているのよ 』

『 ヘッ?』


『 いつだったか、mahalさんがオヤツを作ってくれたでしょ 』

『 そんな事ありましたっけ? 』


『 ゴハン団子よ!!その時私が美味しいと言ったら、

 アナタは満面の笑みで、また一緒に食べようねと言ったのよ 』


よく覚えていません・・・(;´▽`A``


『 その時、とても嬉しくてネ

 それからは、私もmahalさんの真似をして

 周りの人を少しでも元気にさせる言葉を考えたわけ 』



自分は、また一緒に食べようねと言った事を忘れていましたが

何気ない言葉でも、相手にとってパワーになる事があるのだと知りましたニコニコ

フィリピンへの援助金集め その2

施設の夕食時に

幼稚園で七夕祭りをする事、

バザーをして収益金をフィリピンに送る事

そんな話をしました。


あるおばあちゃんが席を立ち

よろめく足取りでご自分の居室に戻っていきました。


しばらくすると戻ってきて・・・

『 mahalさん、これを持っていって 』


そう言って持ってきたのは、ビニール袋に入った山ほどの小銭です。

もちろんスタッフが、入所者から金品を受け取る事は出来ません。

丁寧に断りました。


『 そう言わないでコレもフィリピンの子供たちに使って欲しいの。

  実は、私の孫もmahalさんのスカウトに一時お世話になっていたし

  幼稚園もそこの幼稚園を卒園したのよ 』


『 え~、そうだったんですか 』


『 あの、ドイツ人の園長先生(神父様)も懐かしいわ。

  孫が幼稚園の時は、毎年12月になると

  家のお手伝いをしてお金を貯金箱に貯めて

  それを クリスマスに教会へ持っていったものだわ。

  私が自分で届けたいけど、この足だからね・・・

  mahalさん、私の代わりに届けて欲しいのニコニコ


丁度この時、おばあちゃんの娘さんが面会に来たので

事情を話し、娘さんの了解を頂き

おばあちゃんからのお金は神父様へ届けました。




あとで思い出したのですが・・・

おばあちゃんの孫は、スカウトに入団した時(当時小3)

気の優しいお坊ちゃま風のおとなしい男の子でした。

入って間もなく、その子は団キャンプに参加しました。


そのキャンプで、その子の味噌汁に虫が入りました。

私は困った顔をしている彼に冗談を言いました。


『○○君、スカウトは虫入りの味噌汁なんか平気で飲まなくっちゃ!!

 それを飲んだら、キミも本物のスカウトだにひひ


彼のために、新しい味噌汁を取りに行って戻ると

彼は、鼻をつまんで虫入りの味噌汁を飲み干していましたガーン

それから、その男の子がたくましくなったのは言うまでもありません。



今では懐かしい思い出です。

その話をおばあちゃんに話すと大笑いしていました。

フィリピンへの援助金集め その1

先日、フィリピンへ送るお金を集めるために

幼稚園の七夕祭りに、私達ボーイスカウトも参加して

バザーを開催する事になりました。


そのための導入として、神父様はスカウト達に

忘れられた子供たちの ビデオを見せると言いました。

以前、あんな事 があって、ギャフンと言った神父様・・・にひひ


今回は子供たちに見せるのだから

内容を吟味して見せるんだろうなニコニコ


そんな事を考えながら、私も上映会場へ入って行きました。



ところが・・・


何を思ったのか・・・


神父様は・・・


以前、大人が見てドン引きになった場面はカットするかと思いきや

そのまま上映していました。



しかし、それ以上に驚いたのが

子供たちの反応でした。


みんな、無表情で見ていたのです。


中学生くらいの子供は

何か感じる物があったのかもしれませんが

話す時間が無く感想は聞けませんでした。


私の担当している低学年の子供たちに感想を聞くと


『 なんか、死体が落ちていたよ~ 』

『 汚い服を着た子供が映っていたよ~ 』


こんな言葉しか出てきませんでしたガーン



ゴミ山の貧しい暮らしを理解してもらうのは

平々凡々と暮らす事が出来る日本の子供たちには

少々無理があるのかもしれません。


しかし、同じ地球人として

今回見た映画のような子供たちが地球上に大勢いると言う事を

いつかは理解してもらえるように頑張ろうと

あらためて思いました。


Malapot(恋)しています

18年前間、いつも一緒だった息子が

進学のため、春から一人暮らしを初めました。


ちゃんとご飯は食べているのだろうか?

具合が悪くなっていないだろうか?

事故に遭っていないだろうか?

友達は出来たのだろうか?

勉強は頑張っているのだろうか?


まるで、青春真っ只中の少女のように

いつも息子の事が頭から離れませんラブラブ


一緒に住んでいた時は、些細な事で

しつこいくらい電話やメールがあったのに

いざ、一人暮らしを始めると

お金が無くなった時にしか連絡をくれません。


『 男の子ってコレだもんなぁ~(^▽^;)

 寂しいし、つまんないよ~(ノω・、) 』


って感じの話をエセルにしたところ


『 私は16才で親元を離れ、大学の寮に住みましたよ。

 フィリピンは小学校が6年生で、高校が4年生なので

 大学生になるのは16才なのです。

 それにくらべると、mahalは子供と2年も多く

 一緒にいれたのだからHappyでしょ~。

 子供も寂しいと思うけど、その寂しさも

 彼のGrow upに繋がるんだから素晴らしい事だと思いますよ 』


と励まされました。



そういえば、現在28才になっているジョン君

16才でミンダナオの実家を離れ、マニラに住んだと話していました。

卒業後、日本企業に就職をして20才から4年間

日本で一人暮らしをしました。

その後はセブに転勤したので、16才からずっと親元を離れています。


私は簡単に息子に会いにいける距離なので

ジョンのママの寂しさに比べると、泣き言なんか言えないのです。




ジョンが、あれだけ素晴らしい人間に成長した裏には

彼のママの寂しい気持ちや、心配する心

さらには、海より深い愛情があるのだと思います。




私もそろそろ子離れをする時期がきたのかな?と思いながらも・・・


ついつい、休みの日には・・・

大量の食材と、お泊りセットを持って

息子のアパートに突撃してしまう親バカですあせる

神父さまのお話

フィリピンのルバング島で戦後30年間ジャングル暮らしをしていた

小野田さんの歯磨きについての話を聞きました。


ジャングルには歯ブラシも歯磨きも無いので

口に水を含み、ヤシの繊維で磨いていたそうです。

そして30年間、一度も歯を悪くした事はなく虫歯も1本もなかったそうです。


ところが帰国して10年間の間に歯槽膿漏のため

10本も歯が抜けてしまったのだそうです。

たぶんに年齢のせいもあるとしても、自然に逆らった食べ物のせいだと

歯医者さんは強調していたそうです。


文明社会から隔絶されたジャングルで、一度も悪くならなかった歯が

文明の世界に戻ったら、ガタガタの歯になってしまうというのは…。


人間の肉体も感覚も精神も

すべて含めて総合力で人間の力の度合いを測るとすれば

文明の世と、そうでない世界と

どちらが人間力は豊かになるのでしょうか?




現代文明は驚異的な便利さを人間に与えました。

しかしそれと引き換えに人間力を奪い取ってしまいました。


冷房システムの中で暑さ寒さに弱くなっただけではありません。

人間のぬくもりを感じる力

他の人の痛みや苦しみを感じる能力も失われていくようです。


文明社会の便利さは人間が獲得した一つの収穫だとしても

真の人間性の開花という意味での収穫と言えるのか

はなはだ疑問です。


不便さの持つ人間力養成の側面にも目を向けてみたいものです。



とても考えさせられました。

留学生アルバイト

私の勤務先では

早朝と晩の忙しい時間帯にアルバイトが来てくれます。


彼らは中国人留学生です。

昼間は大学で勉強して、朝晩アルバイトをして

中にはもう一つ別のアルバイトを掛け持ちしている子もいます。


まだ1年生なので、日本に来て1年目なのですが

易しい言葉を使って、ゆっくりと説明すると殆ど理解してくれます。

かなりの語学力だと感心します。

日本人が中国へ行って、4-5ヶ月で彼等ほど理解できるとは思いません。



将来、フィリピン人看護士が同僚になる事を期待している私は

中国人の彼等も応援していますが・・・

日本の風は、かなり冷たいようですガーン


例えば、食器を洗う仕事をしてもらっているのですが

彼らは食器洗い機を快速で作動させます。

その理由は

30分の快速でセットすると、乾燥はしてくれないのですが

フキンで拭いて片付けるほうが時間が短縮できるから

なのだそうです。

(標準だと60分で乾燥まで出来ます)

たしかにこの方法だと、無駄な時間がありません。


しかし、一部の日本人スタッフの冷たい風は・・・

彼らに難癖をつけますガーン


この、アルバイト君達の考えた快速で洗う方法

次の時、自分達(職員)が食洗機をセットする時

快速から標準に戻さないでセットしてしまう事があり

乾燥していない食器にギャフンとなり、怒り爆発となります。

(私はセットする時、確認しない日本人が悪いと思うのですが)


で、先日、食洗機に張り紙をしていました。


《標準で作動すること》


なんだか、日本語おかしくないですか?

《標準で作動させること》もしくは《標準で作動させてください》

のように書かないと理解しにくいと思うのですが。


日本人なら意味は通じると思うのですが

相手は最近日本に来たばかりの外国人です。

しかも、こんな張り紙をしなくたって

クチで説明してあげる方が理解できると思うのです。


なんだか・・・想像はしていましたが・・・

日本人の狭い心・・・垣間見てしまい・・・空しいです。


自分達の子供たちが異国へ行って

同じような苦労をしたらと考えたら

もっと優しくしてあげる事ができるのになと思います。


唯一、救われるのは

おじいちゃん、おばあちゃんたちが

『 シナから来たお兄さん、お姉さん 』と可愛がっている事ですニコニコ


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>